蜂蜜の壺

愛の溜まり場、言葉の液垂れ

虚無虚無プリンのしばきかた

超お久しぶりです。はにたんです。

 

感情のやり場がなくどうしようもない時、文字に起こしたくなってそわそわしてしまう。そんな性分をもった女がここに存在しています。

今日は目の前に虚無虚無プリンが現れた時どうしばき倒すのかということについて話していいこうかなと。

 

 

まず虚無虚無プリンとは。

絶望とはまた違う、寂しさともまた違う、虚無という存在ですが、皆さんは感じたことがありますでしょうか。

私は、ここ2年で初めて感じるようになって、現在進行形で日々現れるやつと戦っている。

 

遡ること2年前、私は仕事の忙しさとそれに反比例していく職場の人間関係で適応障害となり、そのままプライベートでの小さい頃から積み重なっていたシワが押し寄せ中等症のうつ病となった。

 

症状が重かった時の話はまたいつか思い出してあんなこともあったなあと振り返れる日がくればいいので、改めて文字に残せればと思うんですけど、この日々現れる虚無とやらは、今しばいとかないとなと思いパソコンを開いたわけだ。

 

現在お付き合いをしている彼から虚無ってどういう感覚なの?と聞かれた。

彼は本当にメンタルが安定しているので、そうそう感じないようです。素晴らしい。

私なりに説明すると、終わりのない登山をしているような感じという表現になったのだけれど、これあってる?

人生が登山だとして、終わりがいつくるのかも今じゃわからない。その上にきつい。たまにくる休憩に生かされている。そんな感じ。

それを実感するまさにそのふとした瞬間に虚無はやってくるのだ。某ポムポムプリンのような無害な顔して。(あんま知らんけど。)

 

 

実際メンタルで落ちているのと、生理前でホルモンバランスが崩れているのと、連休終わりで明日から仕事というのもあってめちゃくちゃ落ち込んでるのが、こう、幾重にも重なってこの虚無という像が出来上がっている説はある。90%くらいあってるそれで。

 

でも微かに残っているこの芯の残った虚しさはなんなんだろう。

 

そして襲ってくるタイミングが今日のお昼ご飯と晩御飯の2回のタイミング。食事の時に虚しさが襲ってくるという訳のわからんことも含めて分析したい。

 

 

食事中というのはとてもリラックスした状態といえる。普通に過ごしているときよりも緊張がほぐれているということは、隙がある状態で、そこに漬け込んでくるといった感覚である。

 

じゃあそもそもなんでリラックスした時に襲ってくるのか?

 

ここで出てくるのが「人生暇な時の方が考え事をしてしまって辛くなる」というあるあるなんだ。

そうだ、食べている最中私はおそらく暇なのだ。恐ろしいほど暇で、恐ろしいほど遠くのことを無意識に考えてしまっている。そうに違いない。

 

 

あースッキリした。そういうことね。

 

じゃあこれから私は食べている時に何かを見るなりした方が良いということになる。

意識的に行動するとやはり幸せはこちらに向かってくるのかもしれない。

 

ん〜いい気持ちだ。

 

やはり文字にするということは素晴らしい。

 

さあ虚無、かかってこい。私はお前に構っている暇はないのだ。

 

ありがとう年上完璧彼氏、よろしく年下犬系彼氏

元彼とお別れして2ヶ月が経った。詳しい理由は伏せるけど、大きく結婚観が違って本当にどうしようもなくお別れすることになった。

 

もっと時間をかけて別れたかった本当は。LINEで一時間も経たないうちに関係が解けていく様子には正直耐えられないものがあった。これも自分が「時間が勿体無い」なんて言ったのも一理あるが。

 

お互いの幸せを祈ってお別れして、果たして私はこれ以上の幸せを手に入れることができるのだろうかと不安な気持ちになっていた。

 

でもきっとまた同じようにこれ以上の幸せはあるだろうかと思う時がくる。それが恋愛なんだと今回の恋愛で思った。それは幸せな日々が過ごせたからだとも同時に思っていた。

 

そして今、新しい彼氏と付き合い始めてもうすぐ2ヶ月が経とうとしている(別れてから17日というスピードで出会ってしまった)。

 

3歳年上の彼氏と別れて3歳年下の彼氏と付き合い始めた。プラマイ6である。なかなかである。

どちらにも良さがあり考えさせられるところがある。

例えば年上はスマートである分さっぱりと淡白で寂しい時もあったり、年下は愛嬌があって可愛げがあるがまだ少し青い部分も見えてきたりと、本当に色々違ってとっても楽しい。

 

なんにせよ今私が楽しく過ごせているという事実は、本当に幸せなことだ。

 

これから今の彼との間にどんなことが起こるだろうか、想像もつかない。実際元彼と付き合っていた時も本当にストレートに結婚が目の前にあると信じてやまなかった。なのに、それは現実にならず別々の道を歩むことになった。

 

怖い。けれど、少し前にブログを書いていたような、どうかこの時間がずっと続きますようにと涙を流してしまうほど弱くはなくなった。強くなった。

そして時々彼がどうか続きますようにと祈っているであろう言動を見聞きして、若いなあと思うのである。私にも直近でそんな時期があったなと。

 

大丈夫だ、きっと。そんな気がしている。結婚はゴールではないけれど、彼とならなんでも乗り越えていけると信じている。信じることが大事なのだ。

この大事な縁を離さず、温かい時間をもっと増やしていきたいな、と私の作った手作りハンバーグを口に運びながら美味しいと感動してくれた彼を見て思った。

 

「余計なお世話だけど本当に幸せになってね」と最後元彼が言ってくれた言葉に、届かない返事をする。私は今とても幸せです。その土台を作ってくれたのは間違いなくあなたでした。本当にありがとう。そして、今彼に告げる、これからどうぞ末長くよろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信じてないくせに期待はしてるエトセトラ

ごきげんよう、はにたんです。

 

みなさんは何か信じてるものありますか?私はありません。

幽霊もUFOも、ひょっとしたら神様も、信じてない。

と、自分で思っているけど実は何かを信じているかもしれない。ただ、自覚は今のところなし。

 

みなさんは何か期待してるものはありますか?私は、期待してばっかりです。

人にも人生にも成功にもロマンスにも、期待してばっかりです。

 

面白いなあと思って書き留めときました。

信じることと期待することって似てるようでまるで反対にあるような感覚がある。

信じることは自分に軸がある、期待は他人に軸がある、みたいな。

 

人をうまく信じられているのか、最近わからなくなってきた。

休職して時間を持て余して考えを張り巡らせてみると、休みに入ることになってしまった原因の原因が、人間関係の部分であることが明確になってきて、他人を信じてないけど期待はしていることがかなり良くないものを引き起こしている気がしてきた。

 

信じていないので上部でうまくやっていくのは異常なほど長けているのに、期待しているから相手の言動に振り回されてしまう。

めっっっっちゃ損してるわ。やばい、めっちゃ損してるこれ。

 

そもそも論、自分のことを信じられていないのに、自分に期待しているのがあるのだと思う。

要は賭け事状態。まじでバランスが終盤のジェンガ。

 

は〜〜〜良くないとわかってるのにもうあと1ヶ月で27歳になってしまうわたくしめは変わりようもないのです。

とは言いつつこのままだと6月から仕事復帰しても何にも変わんないんだよね〜。じゃあいっちょ変わってみますか。

人に期待しない。嫌な時はちゃんと言う(もちろん最低限の心遣いはもって)。自分軸をもって仕事する、他人に干渉されそうな時に自分を信じて自分の意見をまず伝える折れない!!

あ〜〜〜できるかな、できなさそう、怖い、でも自分のこと信じなきゃ。

 

どうか神様、変わる私をどこかで見ていてください。信じてないのにエトセトラ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親愛なるアイドルへ、オタクによる届かないささやかなお祝い

増田貴久38歳のお誕生日おめでとう〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!

 

おめでとうおめでとう、事故に遭わず、大きな病気にもならずに、38歳になってくれてありがとう。

 

オタクさっそく重たいのである。最近自分の人生が激動なもんで、しかも「2024年は推し活を抑えて自分の人生を」なんて掲げていたもので、大したことが書けない。でも、気持ちは、気持ちはずっとあるのだ。何故なら重いオタクなので。

 

最近雑誌もろくに追えてないや。今三人は何を語ってる?コヤシゲの結婚で色々チームNEWSも考えるところがあったよね。多分降りた人も、いたよね。忙しいながらTL追って少し見てた。

 

NEWS好きはずっと、アイドルってなんだろうって考えながら推し活をしていると思う。他のグループ好きよりもずっと。そして本人たちもそれを考えてきたと思う、私たち以上に。だってアイドル本人たちなんだもん、そして三人は、真摯にアイドルという職業を自分で選択している人たちだから。

結婚とか色々でこれに対しては意見が分かれるかもね、でも私は三人でもNEWSをやって20周年をこえて、今また「JAPANEWS」なんてバチクソかっこいいアルバム出してくれるんだから、これが正解だろと思っている。

 

アーティスト質がもともと高いNEWSだからそこらへんが、ある種アイドル性というものと融合が難しいと思うんだけど、ちゃかりバンビーナを入れてくれて(これ私まじで小山さんのおかげだと思ってるんだけど、どうなの?絶対そうでしょ?誰かどっかでこれ入れた経緯知ってたら教えて)ちゃんとアイドルしてくれてますやん。既婚者のバンビーナ無理な人がいるのもわかるけどさ、私はアイドルの小山さん、シゲ、増田さんと、私生活の三人は全然違う人だと思ってるのでマジでありがとうです。感謝です。本当にありがとう。

 

おかしい、増田貴久おめでとうのブログのはずがバンビーナありがとうのブログになってる。おかしい。軌道を戻す。

 

 

増田さん、最近軽く媒体を覗くと、確かにたまに時空超えて26歳くらいに見えるんだけど、ちゃんと”大人”の顔してる時が多くなってきた気がする。そしてまあ、ゴチもちゃんと見てないんですが(もう全然追えてなさすぎてコメントするなよって感じですけど)、少し覗くと食レポもちょっとずつ進化してない?どう?私がたまにしか見ないから?彼なりに色々と努力しているんだろうけど、見せない人だったよね。努力を。今はどうですか?

 

私は実は努力は見せて良いという考えの持ち主で、それはエンタメ界にいないからだとは思うんだけど、他の推しているKPOPアイドルがわりと凄まじい過去と努力を少し見せてくれている(なんなら曲とかにすることで昇華させている)ので、私はその姿に救われることも多かった。自分の辛い時、努力して乗り越えるべき時に、彼の姿を想像して、自分を奮い立たせることができた。

だから、増田さんのそういう部分がこれから、本人から語られたら、私はもっと増田貴久というアイドルを人として、好きになってしまうと思う。それが良いかは別として。そしてこれは増田さんの生き方のポリシーに背く可能性があるから、本当に私の意見。

とかいいつつ、今のままの増田さんも好き。とにかく、増田貴久というアイドルが好きなので。どんな増田さんでも好き。

 

だからね!!!!!!!増田さん!!!!!!大声で伝えさせて!!!!!!これからも健康第一で、私たちにたくさんワクワクするエンタメを、届けてね!!!!!!!!!

 

増田貴久の生き方、大好きなんだ!!!!!!生まれてきてくれて、アイドルになってくれて、真剣にそして自分も楽しんで過ごしてくれてありがとう!!!!!!!

 

インスタの文言、変えたりしてるね、しっくりくるまで変えてよ、わたしは、変わっても何があっても、増田貴久ってアイドルに出会えて超ハッピー

 

結婚とか子供とか諦めてない?私は諦めないでほしい、私の変わらない気持ちは、「掴める幸せは全部掴んで」です。増田さん。届かないね。届かない、一人のオタクの声だけど、叫ばしてもらいました。

 

今年も増田貴久にたくさんの幸せが降りかかりますように!!!!!というか私たちが幸せにするので、よろしく〜〜〜〜〜〜!!!!!!!

 

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(P.S.NEWSの曲かけながらブログ書こうとしたら一発目がまさかの「Happy Birthday」でした、できすきだろ、さすがもってんな、増田さん)

 

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たまには弱音も

こんばんは、まだ時間は早いですが、夜が深いですね、はにたんです。

 

 

 

疲れちゃったな最近。そんな日もあるよね。

 

 

わからないことだらけだ。新卒採用で入った場所がわりと過酷、タフなメンタルお化けが集まる場所だと入社2ヶ月にして知らされ、やっていけるだろうかと不安を胸に早一年、社会人2年目に突入した。

 

やってけてないな、ミスばっかりだし。一生懸命やってはいるけど。必死に食らいついているおかげで、「新採用だから結果はともかく頑張ってるね」って周りが助けてくれているからなんとかって感じ。

 

なんとか。

 

業務内容はあまり書けないけど、だいたい個人情報やら電卓やらと睨めっこで、毎日6つも7つも同時進行で鬼のように処理していかないといけない。緊急対応も多くて、5分〜10分の間に必ず1〜2回電話が鳴る。

 

「うちの部署はできて当たり前、できなかったら0点。70点とかない部署だから。」

と憧れの先輩に言われ、本当にその通りで失敗すれば大事になるプレッシャーと毎日戦っている。

 

 

書いてても辛いわ。私、頑張ってるんだけどな。

 

何かが足りない。というかわかってる、効率も知識もまだまだだし、たまに考えずに仕事してる時がある。ああきっと、今先輩たちから「こいつ考えてないな、自分で調べる前に聞きにきてる」って思われてるんだろうなという瞬間もある。わかってるよ。

 

わかってんだけど、できない。

職種柄、方向性のレベルですら配属は選べないから、「最初からここに来てしまって気の毒に…」ってめちゃめちゃ先輩たちに同情されるくらいで、こんな風に何ヶ所も異動してきた先輩たちも思うようなら無理じゃね?と心が何回も折れかける。

 

もう自分、折れちゃって休んじゃっていいですか?って問いかけてる。毎日夜遅くクタクタになって帰ってきて、ベッドに倒れ込んで悔しくて涙こぼして、お風呂入るのもしんどくて時間だけ過ぎて、ギリギリ6時間睡眠確保できたらラッキー、また起きて朝から働いて。折れちゃうときはきっと起き上がれなくなるんだろうけど、体が痛いなと思いながら起き上がれてしまうから、ずっとこの状態で働き続けてる。

 

「若いうちに苦労しとけ」とか、そんな言葉をよく聞くけれど、本当なんだろうか。

正確に言えば若いうちにしか苦労には耐えられない、のが正しい気がする。体力的な面もそうだし、若いから・無知だからこそ苦労に対して「仕方ないよね」と言ってもらえるというか、なんというか、積極的というより消極的な方の意味で私は感じる。まとまらないけどそんな感じがする。

 

今まで学生時代にもキツいと思いながらがむしゃらにやってたことがあったな。

当時は死にそうだったとしても、もう今はそんな感覚も忘れてしまって、グツグツ煮ていたやり場のない怨みみたいなものは、過去のものになった瞬間に「思い出」「いい経験」みたいな姿に成り代わる。あのとき 一生懸命やっててよかった、と思うまでに。

 

そんな苦しさも何個か乗り越えて、また今苦しい最中にいるけど、私はここで今までみたいに折れないで進める自信がない。なんか今までと違う。責任の重さが違う。社会人、すげえよ。みんなよくこんな状況で続けられるな。

 

会社の中でも愛されてる方だと思う。新卒として十分に可愛がってもらってる感覚はある。心配してくれる先輩方もたくさんいる。アドバイスもくれるし、時には叱ってくれる先輩もいる。

 

彼氏も、心配しつつも笑わせてくれたり社会人の先輩として少し助言してくれたりもする。

 

 

仕事の大変さも理解した上で頑張ってる、支えてくれる人もいる、なのに頑張れない。から回ってる、バテてる。

組織の問題も大いにあるとは思うけど、それを覆すほどの実力も器もなかった。悔しい。自分がこんなにできない人間だったって、若いうちに気づけてよかった、今はそう落ち着かせるしかできない。

 

 

少し休みたいなぁ。2年目の人間が休んだら回らなくなる組織なんておかしいけど、実際休まれたら困るって雰囲気がもうすでにビンビンしてる。でもごめんなさい、休むかもしれない。

 

いや、休もう、無理しないようにしよう。本当にその時が来るまでにもし立て直せそうなら、小さな希望の光が見えますように。立て直せなかったら、休もう。

 

ダメになる前に、ちゃんと自分に言い聞かせてストップできますように。周りの人も既に「はやく休んで」って言ってくれてるから、その言葉をちゃんと受け止めて、立ち止まれる自分でありますように。そのために今ここで言葉をブログを残しておく。

■

僕には、小学5年の時に仲良くなり、中学2年の時に人生で初めて縁を切った友達が居た。

 

今から彼とのことを書こうと思う。

「やめろ!」って怖い顔して怒って、とっかかってくる姿が目に浮かぶ。それが、僕が知っている頃の彼だ。どうしよう、本気で殺されるかもしれない。

 

でもそれが不可能な今、僕は、彼と過ごした時間の中で「あの時、間違えたのかもしれない」と思う瞬間が浮かんで仕方がない。彼はそんな僕を「偽善者だ」と言うだろうけれども、書かないと自分がもっていかれそうだ。

出会った時から、一本の動画を見ているように思い出せる。そして一時停止しては、考え込む。それを昨日から繰り返している。

 

 

本当に色々とあったのだ、色々と。

 

 

 

 

小学5年生のとき僕は身長が高い方だった。朝礼で整列すれば、大体、最後尾か後ろから2番目。当時、そんなに身長が高いのも珍しかった。2つ隣のクラスの同じような位置に、彼はいた。全体集会のようなものがあるたびに、自然と近くにいるようになった。

 

彼は、小学生ながらも、いつも黒を基調とした服を着ていて、すごく大人っぽかった。僕よりも身長が高かったから、余計に大人っぽく見えた。そして、1匹狼タイプであまり喋らないやつだった。

 

僕はといえば、先生から6年間授業中のおしゃべりを注意されるほどで、特定のグループに属さず、クラス間を走り回るタイプだった。服は、毎日違う色を着たくて、カラフルなものを好んだ。

 

真反対だ。

 

そして、僕は、人に関心を”持ちすぎる”人種だった。

 

正直小学校にいた時は、周りと会話のレベルが合わなくてうんざりすることが多かった。どうでもいい、どうしてそんな幼稚なことで笑えるんだろう、と思ったりすることも多かった。今から考えれば随分マセている。周りとも大して変わらなかったはずだけど。

 

そんな小学5年生の春、僕は彼に興味を持って急に声をかけた。「仲良くしよう」とか、そんな感じのことだったと思う。大人っぽい彼となら、会話が楽しめると思った。

 

1匹狼でやってる彼は、当たり前だが、それはまあ僕を拒否した。今思えば、なぜあんな拒否されたのに近づいたんだろうと、申し訳なさに駆られる。言うなれば、犬アレルギーの人に犬が猛突進して舐め回しているような状況だった。

 

逃げられては追いかけ、休み時間が始まれば自分のクラスから飛び出て彼のクラスに駆け込む。周りもわかっていた。間挟んで隣だったクラスの子とも顔馴染みになって「あいつ、来たぞ」って、彼に僕がきたことを知らせてくれるまでになった。

 

そもそも、どこかのグループに属したりしていなかった僕は、本質的に彼と同じ状態だったのだ。

 

さっき、「彼は拒否した」と書いたけれども、実際そうしながら、いつのまにかメールアドレスは交換していたし、逃げながら彼は笑っていた。少し照れ臭いような顔をしていた時もあったのだって覚えている。受け入れられていたのだとは思う。それが本当に良かったのか、は別として。

 

それからたくさん話した。毎日のように休み時間に僕は彼の教室に通った。ただ、今から思えば、彼が僕の教室に来たのは片手くらいしかなかった。それも、僕のクラスの担任の先生のことが好きで、顔を見せていただけだ。先生は若くて優しくて、大学時代には野球部に所属していて、爽やかな好青年だった。僕は先生と仲が良かったから、ちょうどよかったのかもしれない。「ちょうどよかったのかもしれない」なんて言い方をしたのは、仲良くしていた僕に会いに来るわけでもなく、しかも同性の先生にそこまでして会いたいのかよ、とか思ったりもしたからだ。

 

 

 

 

ある日、僕がいつも通り彼のクラスの教室に行くと、なにやら騒がしい雰囲気になっていた。

誰かが喧嘩したらしい。教室につくと、ハサミが落ちている。

 

「何があったの?」

近くの子に聞くと

「”彼”が怒って、ハサミを床に投げたんだよ」

と答えた。

 

みんなそんな彼を怖がっていたが、僕は正直全然怖くなかった。なぜなら、僕もだいぶ気性が激しくて、イライラしたら割り箸をまとめて折るとか、そんなことをしていたからである。ただ全く同じではない。この違いが、真反対にいるようで本質的に似ていた、でもやっぱり異なった、僕と彼の差異だったのかもしれない。

 

それより、なにがあってそんなことをしたのか、とてつもなく気になった。当時は「心配」という感情のつもりだった。今になって、違ったと気づいた。僕は、人に関心を持ちすぎていた。

 

小学6年生になった。

いつからか、彼からのメールの内容が、沈んだものになっていった。

もう具体的には忘れてしまったが、大筋「生きているのがしんどい」という内容だった。

その頃には、彼はもう僕を拒否しなくなっていた。

 

僕は一生懸命返事をした。「頑張れ」「無理するな」「僕がいる」たくさん返事をした。

ただ、ずっとループしているような状態で、もう返す返事がなくなってきてしまった。

 

 

なんて返すのがいいのか困り果てて、僕はネットで調べた。

 

「生きるのに疲れている人に、『頑張れ』とは絶対に言ってはいけない。」

 

そんな記事を僕は見つけた。

 

しまった、と思った。今まで何回言ってきただろう。よくないことをしてたんだなと学んだ。後述するが、道理で、と思い当たるような彼の行動がひとつだけ、あった。そして、彼は時折、本当に生きている方が死ぬよりしんどいのかもしれないと思えるような姿を僕に見せるようになった。

今ならうまくやっただろうが、当時小学6年生の僕はそれを目の当たりにして、本当にどうしたらよいのかわからなかった。とりあえず、できることは一つで、とことん話を聞こうと心に決めた。

 

 

そんな鬱々とした瞬間もあれば、普段からずっとそうだったわけではなくて、本当に楽しい時間も過ごした。

 

最初に近づきたいと思った時の直感は当たっていた。くだらないと思っていた同級生との話はどんどん減り、彼とたくさん背伸びした話をした。

 

ネットがまだ普及し始めたばかりで、小学生にしてケータイを持っている子も少なかった中で、僕と彼はケータイもパソコンも持っていた。だからこそ仲良くなれた。

 

メールを通して学校が終わった後も話したし、土日には、当時画期的だと話題になっていたSkypeで二人でたくさん通話をした。ニコニコ動画にハマって(今では黒歴史だが…)お互いに弾いてみた歌ってみたの動画を編集してアップしたり、生放送をして楽しんだ。二人で掲示板に参加して、ネットにいる中学生や高校生のお兄さんお年さんたちとも話をした。

 

年頃だったから、そういう、ちょっとエッチな話題でも盛り上がった。小学校には2階にテラスがあって、6年生の教室の窓からテラスがつながっていたのだが、そのテラスの隅で先生にバレないようにケータイを取り出して、所謂"大人のサイト"のパスワードを開けた。「なにしてんだよ」って笑いながら肩を押して、あの時僕らは、一緒に思春期を全速力で駆け抜けた。

 

 

そんな話もするようになった僕らは、当然、もうなにもお互い知らないことなんてなくなっていた。僕は彼で、彼は僕だ。

同じ漫画が好きで、同じキャラクターが好きだった僕らは、(僕が一方的に買って渡した)お揃いのTシャツを着ていた。

 

 

そうしながら、同じ中学校に入り、僕たちはクラスが同じになり、本格的に一緒に過ごす時間が増えた。僕の幼馴染が声をかけてきて、軽音楽部に入り、同じバンドも組んだ。

 

ただ、距離が縮まれば縮まるほど、彼の愚痴もどんどん、悪化していった。

 

ある日、彼は僕に「鬱なんだ。鬱の家系なんだ。」と言った。

僕は当時、”鬱”というものがよくわからなかった。身近にはいなかった。中学1年生なりに考え、ネットで調べては、話を聞いてきた。慰めた。励ました。

 

でも、どんどん悪化するばかりだった。小学6年生の時に話を聞き始めてから、どんどん僕にも当たるようになってきた。

 

僕はもともと特定の仲良い人を作らず、小学校の頃過ごしてきた。だけど、中学校に入り、新しく”特定の友達”が3人できた。だから、そんなことがあっても新しい友達とリフレッシュする時間はあった。

だから僕は基本的には彼と二人でいて、たまにその他のやつらと一緒になって、仲良く過ごしていた。その他のやつらのうちのひとりは、僕が彼と縁を切ったあとに主に仲良くしていたみたいだったから、この時の縁は間違いなかったと少し救われている。

 

そして、僕は中学で何回か恋をする。そして、僕が好きになる人のことを、彼は「僕もその人が好きだ」と言うようになった。

 

小学生の頃は違った。僕たちの異性のタイプというものは全く異なった。お互いに好きな子たちを巻き込んで一緒に4人で帰ったりもした。嫌な書き方をすると、もちろん僕の計らいだ。彼の好きな子に近づき警戒心を解き、僕自身といえば好きな子と話せば周りから「夫婦漫才するな」と言われるほど仲が良かったから、それぞれに声をかけて回った。僕の好きな子と、彼の好きな子がたまたま同じ幼稚園だったのも幸いだったんだけど。

 

そして、話は戻る。中学1年生の時から彼は、違和感を覚えるほど僕が好きな人を指して「同じ人が好きだ」と言い出す。僕が好きな人が変われば、時には追ったように「僕も好きだ」と言い、時には回り道したかのように「僕も前から好きだった」と言い始める。

 

そんなことがありながらも、なんだかんだ楽しくは過ごしていた。

それもそうと、周りはいまだに幼稚だった。くだらない悪口大会に参加させられそうになって疲れるより、彼の話を聞いている方がマシだった。そして、渡り廊下で官能小説を面白おかしく朗読することに僕らはハマっていた。本当にアホだった。でも、あの春の陽気の下、制服を着て座り込んでいた時間は、今でも少しエモーショナルになってしまう。

 

だけど急に状況は一変した。中学2年生の時、僕の何かが切れてしまった。

 

正確に言えば、疲れてしまった。それもそうだろう。結局のところ、僕の行動の9割は他人への”興味”で構成されていたから。

 

彼は僕に当たったりしながらも、基本的には人のせいにするやつではなかった。しかし逆に、自分の腕をよく切ってしまっていた。だけど、一回だけ、彼は「お前のせいだ」と僕を責めた。

 

中学2年の6月、僕は、彼が当時好きだった(要は、僕も好きだった)軽音部の一つ上の先輩とたまたま校門で鉢合わせ、成り行きで帰ることになった。彼はそんな僕の姿を、中学の教室の窓から見ていたらしい。

帰っていると電話が掛かってきた。

「死ね、死ね!」

と何回も言ってきた。

「なんでそんなこと言うんだよ!違う、たまたま逢ったんだって。」

そんな言葉も聞こえてなかった。

「今から追いかける、待ってろ」

と言われた。声音が明らかにおかしかったから、僕は先輩に話して、一人で急いで駅に向かい、電車に飛び乗った。

 

心臓がバクバクした。どうしてそんなこと言われなきゃいけないんだと思ったし、こんなに僕に攻撃の矢印が向いたのも初めてに等しかった。

 

少し戻るが、僕が「頑張れ」と言ってしまっていた時、彼は急に教室に来て、僕の首を締めたことがあった。周りには悲鳴を上げた子もいた。ギリギリのところで彼は僕の首から手を離して、僕はその場で咳き込んだ。みんな、ますます彼に対して恐怖の視線を向けた。ブワっと砂の塊に風が当たったように、僕と彼の周りの人が扇状に広がって離れた。僕は、彼のことを庇いたくて、「あいつ、やべえな!」と笑って誤魔化した。確かに怖かったけど、僕はそれ以上に、なるほど辛いんだろうなと彼の気持ちを理解をしたつもりだった。

 

でも、理解はしてたけど、多分、共感はしていなかった。

 

今なら、タイミングが悪かったんだろう。なにかあったんだろう。あの時の「死ね」はきっと自分に言ってたのかもしれない。今ならそう思う。そして、適切な距離感を保ちながら、適切な大人に助けを求める。

 

だけど、その時の僕は、「どうしてこんなに理解してて助けようと頑張っている僕に、そんなこと言ったりしたりするんだ」と怒りと悲しみが湧いてきてしまった。

 

その日を境に僕は、彼と顔を合わせても、他人のフリをするようになった。心が固まってしまった。氷はいずれ溶けるが、僕の心は凍ったのではなかった。コンクリートのように、固まってしまった。

彼の苦しみとそれに伴う過激な言動、僕の好奇心と偏った庇護欲は非常に相性が悪かった。

 

ここから本当の、僕の後悔のターンだ。

 

僕は、持ち前の人への”興味”で、たくさんの”知り合い”がいた。それもあったし、高校受験の内申のためにも必要だったこともあり、僕は中学2年生の冬から、生徒会長をやることにした。

また嫌な言い方をするが、勉強もトップにいたため、みんな周りは一目置いてくれていた。生徒会長ともてはやし、僕が何か言えば「正しい」と周りは頷くような状況だった。

 

そんな状況で、僕は彼と縁を切った。もうなんとなくわかるだろう。僕が少し嫌だという雰囲気を出せば、周りも合わせる。彼は少し孤立するようになった。もともと1匹狼だったし、少し怖がられていたから、ものすごい変化という変化はなかったのだが、僕は「仲良くしてても、流石に死ねと言ったらだめだろ」と周りに話してしまった。同じバンドからも、追い出す形になってしまった。

 

彼の具体的な状況を知っていたのは僕しかいなかったのに。僕はその時、そこそこの影響力を持っていたのに。

 

彼も最初は気にしていなかったようだが、少しして、彼の母親が僕の母親に謝りにくるようになった(僕の母親は何も知らず「子供たちのことですから…」と濁していた)。担任の先生たちも、何か大変なことが起きたのではないかと様子を尋ねてきた。

 

でも僕は「許すつもりはない」という態度をとったし、彼も僕のことを「八方美人の偽善者だ」と言い続けた。

 

そうやって小学5年の春から始まった僕らは、中学2年の初夏に終わり、そのまま中学を卒業した。僕は高校受験をして外の高校に出て、本格的に縁が切れた。

 

もう本当に二度と連絡を取ることはないと思っていた。

 

 

高校3年生の冬、センター試験を間近にして、僕の母親が統合失調症になった。叫ぶ母親を抱きしめながら真っ先に彼を思い出した。僕は、本当に偽善者だったと、そこで自覚した。

僕がその状況で、彼と同じ気持ちになったからなのか、母親の精神を落ち着かせようと頑張った時に彼への対応を思い出し反省することが多かったからなのか、どうしてその自覚・後悔が生まれたのかはわからなかった。が、僕はそのとき、彼に謝ろうと決めた。

 

 

本当に勝手だと思う。自分がそんな立場になってやっとそう思うんだから。どうでもいいけど、それ以来僕は経験主義の思想を持つ。自分自身が、経験があることしか共感することができないと気づいたから。

 

 

 

 

僕たちは20歳になった。僕は本気で謝罪をして、僕の気持ちも話した。彼も、当時の自身のことを反省し謝罪してくれ、僕の謝罪も受け入れた。大人になった僕らは、もうわかっていた。二人で会うのは無理だということを。中学の頃の共通の友人を介して一緒にいつか会えたらという話をした。本当に会えることはないともわかっていた。だが、その言葉を交わしたことに意味があった。

 

僕らは幼かった。当時、12〜14歳で、周りに助けを求める術も知らなかったし、「助けて」が素直に言えなかった。お互いの一つ一つの選択が最悪の方向に向かっていた。

今から思えば、彼は「僕の好きな人と同じ人」が好きだったのではなく、僕のことが好きだったか、僕が恋愛をすることで彼は僕が離れてしまうのが怖かったのではないか、とも思ったりする。とにかく、全く健全な友人関係ではなくなってしまっていた。

 

 

縁が切れていた高校の間も、大学に入ってからも、彼の情報は共通の友人を通して入ってきていた。やはり、精神的に安定している時期は、ほとんどなさそうだった。自殺未遂も何回かしていそうだった。ただ、僕と過ごしていた時よりも、好きなことを見つけて一生懸命生きている様子は伝わってきた。

 

 

僕は「精神的に弱っている人にむやみやたらに手を差し伸べるべきでない」と、彼に謝ったときから自分に言い聞かせている。もちろん世の中の全てのケースでそうだとは言わない。ただ、僕は、本当に”偽善者”だった。”興味”や”正義感”、”庇護欲”だけで人は救えない。当たり前だろう。それを”その感覚を持つ当本人”として自覚した。そして、世の中、それに気づいていない人間が多いようにも見えた。「死んでもいい覚悟で本気で助ける気持ちと、慎重な動きが必要だ。」ということを僕は言っているのだが、どうにも僕のことを「冷たい」と言い放つ人がいる。まあしょうがないか、僕は偽善者だ。大差ない。こんな文章を書いていること自体、信用ならない。

 

そんなことを考えるような人間に僕はなっていた。

 

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昨晩いつも通り音楽を聴きながら湯船に浸かっていると、幼馴染から急に電話がかかってきた。

昨日うちで会ったばかりなのに、何の用だろう、忘れ物か。

「どうした、急に?」

「あのさぁ、今暇?」

「なんだそれ笑 今お風呂入ってるよ」

「あ、本当だ、めっちゃ響いてる笑 小学校のときの〇〇、覚えてる?」

 

なんだ飲み会か、最近幼馴染と連絡を再び取り合うようになって、急な飲み会のお誘いも来るようになってもおかしくなかった。

 

「覚えてるけど」

「いやぁ、その子から急にインスタのフォロリクがきてね、DMがきたの。それがさぁ、”彼”が亡くなったんだって」

 

 

 

全然違った。幼馴染の口から出てくるであろうと予想してたものとまるで違う、180°反対の内容の言葉が出てきた。

 

 

 

「え、どういうこと?」

「いやぁ私も正直、驚きすぎて言葉が出ないんだけど…。それでね、お別れ会があるらしくて」

 

なんて淡々とした電話だったんだろうって、あとから思ったけれども、幼馴染も言葉を慎重に選びながら僕に伝えるべきものだけ伝えてくれたんだろう、きっと不自然なことはなにもない電話だった。

 

「一応、君にも連絡した方がいいかなと思って」

「そうだね。ありがとう教えてくれて。」

「来るでしょ?お別れ会。」

「うん、行きたいとは思うけど。行っていいのかな。」

「行ったほうが、いいでしょ。」

「恨まれないかな。」

「いやぁ、大丈夫だと思うよ。」

 

幼馴染は彼と去年まで連絡をとっていたようだった。そんな彼女が言うなら、多分行っても大丈夫な気がした。でも、やっぱり一人で行くのは無理だと思ったから、一緒に中学で一番仲良くしていたやつも誘った。

 

まだ実感が湧かない。良い思い出だけじゃなかったけど、確実にあの3年間半、僕らは一緒に過ごしていた。だから、気を抜いたら手が震えそうだ。

 

許してほしい、でもない、かわいそう、でもない、ごめんね、でもない、おつかれさま、でもない、なんて言ったらいいだろう。お別れ会に行って、僕は何を思えばいいんだろう。20歳の時しっかり僕らは話したから、謝るのも泣くのも違うと思ってる。どうしたらいいだろう。

 

 

幼かった、だの、自覚した、だの書いたけれども、何一つ僕は変わってないのかもしれない。やっぱり、あの時どうするのが正解だったのかわからない。関わったこと自体が間違いだったのかもしれないと考える時もある。

 

本当に色々あったよな。ここに書いていないこともたくさんあるし、いままでのは、全部僕の視点の話だ。そして、もう君からの視点の話は聞けない。

 

 

私小説というものが世の中にあるらしいけど、僕は文才がないから、私小説のような実体験のような、よくわからない中途半端な文章を世に放つ。

 

 

こんな僕が何言っても鳥肌が立つほど気色悪い。結局僕は傲慢で身勝手で、自分が救われたいだけだ。わかってるから、救えなくてごめんなんて、そんなことは言わない。それでもひとつ聞いてしまう、一緒に過ごした時間はこれからも大事にしてもいいだろうか。いいと言ってくれたら嬉しい。

 

 

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なりたいなれない鮮やかな少年たち

こんにちは、またまたお久しぶりです、はにたんです、元気にしてますでしょうか。

 

またいろいろと事務所がバタバタして、アイドルについて考える時間が増えましたね。アイドルってすごいや。各グループが奇跡的に成り立ってるんだなと思ったりする。(※これを書き始めたのがキンプリ報道の直後だったため)

 

自分はなんでこのアイドル集団にワクワクやときめきを感じるのかなと考えたとき、かっこいいなとか好きだなと思うと同時にやっぱり沸々と(沸々と…?)湧いてくる感情があるんですよね

 

(ああ、羨ましい。私も混ざりたいそういうふうになりたい。)

 

って。。

 

思えばこれ、アイドルを好きになったからとかじゃなくて、物心ついた頃からずっと自分の心の中にあった感覚な気がする。

 

私はいつもあの男子のわちゃわちゃした空間に混ざりたかった。それはいやらしい気持ちや下心といったものとは全く無縁な、ただただ、本当にあの、くだらないことをどこまでも面白おかしくしてしまう、最強の集団に、混ざりたかった。くだらないことをくだらないと片付けることなく極めていく、あの純粋さに憧れがあった。

 

 

私、小学生の時に電車通学をしていて、まあその沿線には他の小学校もたくさんあり、たくさんの子どもたちが学校単位で固まってたんですよ。基本的に友達と帰ってたけど、時間が合わなかったりすると一人で帰ったりもする。図書館にあった「料理図鑑」は私のお気に入りの本で、よく借りて読みながら帰ったりしてましたよ。

 

そうやって1人で大好きな図鑑を読んでいても、なんか耳から侵入してくる面白い言葉たちが気になったりしてた。それが、他校の男子小学生たちの話し声だったりする。玉ねぎのくし切りなんてどうでもいい、何?何を話してるんだ。

 

小学2〜3年あたりか、6人くらいで固まってて、どうやら物語を全員で繋ぎ繋ぎ作って話している。いやこれがマジで面白い。急にアンパンマンがムキムキになって暴れ出して天使が舞い降りてきたりする。なんでだよ。めちゃくちゃだよ。

 

本人たちは笑って過呼吸起こしそうになってる。ごめんけど、盗み聞きしてた私も面白すぎて目を伏せてた。…………ああ〜〜混ざりたい!!!

 

 

でもその面白いあの独特の雰囲気に混ざりたいと思うだけで、実際自分がそういう場で同じように面白いことが言えるわけでもなければ、その他における男子同士の雑な扱いに耐えられるのかといえばそうでもない。美味しいところだけ貰おうとしている、なんとも姑息な生き物である。

 

推したちがわちゃわちゃしていると、そんな感覚がたびたび訪れる。もう幾度となく感じた感覚が、アイドルを追いかけるようになってまた私の元を訪れるのである。

 

もはや、絵画を眺めてるくらいの気分だ。こんな色を使うんだ、私は持ってない色だな、とか思いながら、そのきらきらした一瞬一瞬が鮮やかで羨ましくてたまらない。なりたい、なれない……彼らを見るとそんな気分になってくるのである。

 

NEWSの20周年動画だってそうだ。"畑で野菜収穫してるだけ"なのにいじりが発生するとか、めちゃくちゃ暴走してネタに走ってるメンバーがいるのに不思議なほど当たり前のように流しているメンバーとか、急に真顔になって沈黙の後に吹き出しちゃうとか、、、

 

 

けーぽオタクもし始めたけど、彼らもなんとも子犬の群れのように戯れる。転がる。

顔が近づきメンバーがメンバーにほっぺにキスをする。「うわぁあああああああ!!!!」全力でその箇所を擦り振り払う。気持ち悪そうにするわりには、心底嫌というよりもはや笑ってしまってる。ってかなんでそんな楽しそうなんだ???

 

この世の動作が全てキラキラして見える。いや、見えるんじゃない、キラキラしてるんだ。

彼らの一挙手一投足、ひとつひとつの発言がすべて輝いている。もう1秒前には戻れないそんな青春のような儚さを含みながら、それでもその1秒1秒を仲間と一緒に、くだらないことにも全力投球してその瞬間を楽しんでいる。。 

 

 

羨ましい。私はそれが本当に羨ましい。

なりたいなれない。性別も性質も楽しみ方もまるで違う。なれないから、理解できないところがあるから、輝いてるんですかね、なんだろう。不思議だ。

 

 

そんな鮮やかな彼らを見て、私は今日も口から溢すんだよ

 

 

はぁ、尊い。