僕には、小学5年の時に仲良くなり、中学2年の時に人生で初めて縁を切った友達が居た。
今から彼とのことを書こうと思う。
「やめろ!」って怖い顔して怒って、とっかかってくる姿が目に浮かぶ。それが、僕が知っている頃の彼だ。どうしよう、本気で殺されるかもしれない。
でもそれが不可能な今、僕は、彼と過ごした時間の中で「あの時、間違えたのかもしれない」と思う瞬間が浮かんで仕方がない。彼はそんな僕を「偽善者だ」と言うだろうけれども、書かないと自分がもっていかれそうだ。
出会った時から、一本の動画を見ているように思い出せる。そして一時停止しては、考え込む。それを昨日から繰り返している。
本当に色々とあったのだ、色々と。
小学5年生のとき僕は身長が高い方だった。朝礼で整列すれば、大体、最後尾か後ろから2番目。当時、そんなに身長が高いのも珍しかった。2つ隣のクラスの同じような位置に、彼はいた。全体集会のようなものがあるたびに、自然と近くにいるようになった。
彼は、小学生ながらも、いつも黒を基調とした服を着ていて、すごく大人っぽかった。僕よりも身長が高かったから、余計に大人っぽく見えた。そして、1匹狼タイプであまり喋らないやつだった。
僕はといえば、先生から6年間授業中のおしゃべりを注意されるほどで、特定のグループに属さず、クラス間を走り回るタイプだった。服は、毎日違う色を着たくて、カラフルなものを好んだ。
真反対だ。
そして、僕は、人に関心を”持ちすぎる”人種だった。
正直小学校にいた時は、周りと会話のレベルが合わなくてうんざりすることが多かった。どうでもいい、どうしてそんな幼稚なことで笑えるんだろう、と思ったりすることも多かった。今から考えれば随分マセている。周りとも大して変わらなかったはずだけど。
そんな小学5年生の春、僕は彼に興味を持って急に声をかけた。「仲良くしよう」とか、そんな感じのことだったと思う。大人っぽい彼となら、会話が楽しめると思った。
1匹狼でやってる彼は、当たり前だが、それはまあ僕を拒否した。今思えば、なぜあんな拒否されたのに近づいたんだろうと、申し訳なさに駆られる。言うなれば、犬アレルギーの人に犬が猛突進して舐め回しているような状況だった。
逃げられては追いかけ、休み時間が始まれば自分のクラスから飛び出て彼のクラスに駆け込む。周りもわかっていた。間挟んで隣だったクラスの子とも顔馴染みになって「あいつ、来たぞ」って、彼に僕がきたことを知らせてくれるまでになった。
そもそも、どこかのグループに属したりしていなかった僕は、本質的に彼と同じ状態だったのだ。
さっき、「彼は拒否した」と書いたけれども、実際そうしながら、いつのまにかメールアドレスは交換していたし、逃げながら彼は笑っていた。少し照れ臭いような顔をしていた時もあったのだって覚えている。受け入れられていたのだとは思う。それが本当に良かったのか、は別として。
それからたくさん話した。毎日のように休み時間に僕は彼の教室に通った。ただ、今から思えば、彼が僕の教室に来たのは片手くらいしかなかった。それも、僕のクラスの担任の先生のことが好きで、顔を見せていただけだ。先生は若くて優しくて、大学時代には野球部に所属していて、爽やかな好青年だった。僕は先生と仲が良かったから、ちょうどよかったのかもしれない。「ちょうどよかったのかもしれない」なんて言い方をしたのは、仲良くしていた僕に会いに来るわけでもなく、しかも同性の先生にそこまでして会いたいのかよ、とか思ったりもしたからだ。
ある日、僕がいつも通り彼のクラスの教室に行くと、なにやら騒がしい雰囲気になっていた。
誰かが喧嘩したらしい。教室につくと、ハサミが落ちている。
「何があったの?」
近くの子に聞くと
「”彼”が怒って、ハサミを床に投げたんだよ」
と答えた。
みんなそんな彼を怖がっていたが、僕は正直全然怖くなかった。なぜなら、僕もだいぶ気性が激しくて、イライラしたら割り箸をまとめて折るとか、そんなことをしていたからである。ただ全く同じではない。この違いが、真反対にいるようで本質的に似ていた、でもやっぱり異なった、僕と彼の差異だったのかもしれない。
それより、なにがあってそんなことをしたのか、とてつもなく気になった。当時は「心配」という感情のつもりだった。今になって、違ったと気づいた。僕は、人に関心を持ちすぎていた。
小学6年生になった。
いつからか、彼からのメールの内容が、沈んだものになっていった。
もう具体的には忘れてしまったが、大筋「生きているのがしんどい」という内容だった。
その頃には、彼はもう僕を拒否しなくなっていた。
僕は一生懸命返事をした。「頑張れ」「無理するな」「僕がいる」たくさん返事をした。
ただ、ずっとループしているような状態で、もう返す返事がなくなってきてしまった。
なんて返すのがいいのか困り果てて、僕はネットで調べた。
「生きるのに疲れている人に、『頑張れ』とは絶対に言ってはいけない。」
そんな記事を僕は見つけた。
しまった、と思った。今まで何回言ってきただろう。よくないことをしてたんだなと学んだ。後述するが、道理で、と思い当たるような彼の行動がひとつだけ、あった。そして、彼は時折、本当に生きている方が死ぬよりしんどいのかもしれないと思えるような姿を僕に見せるようになった。
今ならうまくやっただろうが、当時小学6年生の僕はそれを目の当たりにして、本当にどうしたらよいのかわからなかった。とりあえず、できることは一つで、とことん話を聞こうと心に決めた。
そんな鬱々とした瞬間もあれば、普段からずっとそうだったわけではなくて、本当に楽しい時間も過ごした。
最初に近づきたいと思った時の直感は当たっていた。くだらないと思っていた同級生との話はどんどん減り、彼とたくさん背伸びした話をした。
ネットがまだ普及し始めたばかりで、小学生にしてケータイを持っている子も少なかった中で、僕と彼はケータイもパソコンも持っていた。だからこそ仲良くなれた。
メールを通して学校が終わった後も話したし、土日には、当時画期的だと話題になっていたSkypeで二人でたくさん通話をした。ニコニコ動画にハマって(今では黒歴史だが…)お互いに弾いてみた歌ってみたの動画を編集してアップしたり、生放送をして楽しんだ。二人で掲示板に参加して、ネットにいる中学生や高校生のお兄さんお年さんたちとも話をした。
年頃だったから、そういう、ちょっとエッチな話題でも盛り上がった。小学校には2階にテラスがあって、6年生の教室の窓からテラスがつながっていたのだが、そのテラスの隅で先生にバレないようにケータイを取り出して、所謂"大人のサイト"のパスワードを開けた。「なにしてんだよ」って笑いながら肩を押して、あの時僕らは、一緒に思春期を全速力で駆け抜けた。
そんな話もするようになった僕らは、当然、もうなにもお互い知らないことなんてなくなっていた。僕は彼で、彼は僕だ。
同じ漫画が好きで、同じキャラクターが好きだった僕らは、(僕が一方的に買って渡した)お揃いのTシャツを着ていた。
そうしながら、同じ中学校に入り、僕たちはクラスが同じになり、本格的に一緒に過ごす時間が増えた。僕の幼馴染が声をかけてきて、軽音楽部に入り、同じバンドも組んだ。
ただ、距離が縮まれば縮まるほど、彼の愚痴もどんどん、悪化していった。
ある日、彼は僕に「鬱なんだ。鬱の家系なんだ。」と言った。
僕は当時、”鬱”というものがよくわからなかった。身近にはいなかった。中学1年生なりに考え、ネットで調べては、話を聞いてきた。慰めた。励ました。
でも、どんどん悪化するばかりだった。小学6年生の時に話を聞き始めてから、どんどん僕にも当たるようになってきた。
僕はもともと特定の仲良い人を作らず、小学校の頃過ごしてきた。だけど、中学校に入り、新しく”特定の友達”が3人できた。だから、そんなことがあっても新しい友達とリフレッシュする時間はあった。
だから僕は基本的には彼と二人でいて、たまにその他のやつらと一緒になって、仲良く過ごしていた。その他のやつらのうちのひとりは、僕が彼と縁を切ったあとに主に仲良くしていたみたいだったから、この時の縁は間違いなかったと少し救われている。
そして、僕は中学で何回か恋をする。そして、僕が好きになる人のことを、彼は「僕もその人が好きだ」と言うようになった。
小学生の頃は違った。僕たちの異性のタイプというものは全く異なった。お互いに好きな子たちを巻き込んで一緒に4人で帰ったりもした。嫌な書き方をすると、もちろん僕の計らいだ。彼の好きな子に近づき警戒心を解き、僕自身といえば好きな子と話せば周りから「夫婦漫才するな」と言われるほど仲が良かったから、それぞれに声をかけて回った。僕の好きな子と、彼の好きな子がたまたま同じ幼稚園だったのも幸いだったんだけど。
そして、話は戻る。中学1年生の時から彼は、違和感を覚えるほど僕が好きな人を指して「同じ人が好きだ」と言い出す。僕が好きな人が変われば、時には追ったように「僕も好きだ」と言い、時には回り道したかのように「僕も前から好きだった」と言い始める。
そんなことがありながらも、なんだかんだ楽しくは過ごしていた。
それもそうと、周りはいまだに幼稚だった。くだらない悪口大会に参加させられそうになって疲れるより、彼の話を聞いている方がマシだった。そして、渡り廊下で官能小説を面白おかしく朗読することに僕らはハマっていた。本当にアホだった。でも、あの春の陽気の下、制服を着て座り込んでいた時間は、今でも少しエモーショナルになってしまう。
だけど急に状況は一変した。中学2年生の時、僕の何かが切れてしまった。
正確に言えば、疲れてしまった。それもそうだろう。結局のところ、僕の行動の9割は他人への”興味”で構成されていたから。
彼は僕に当たったりしながらも、基本的には人のせいにするやつではなかった。しかし逆に、自分の腕をよく切ってしまっていた。だけど、一回だけ、彼は「お前のせいだ」と僕を責めた。
中学2年の6月、僕は、彼が当時好きだった(要は、僕も好きだった)軽音部の一つ上の先輩とたまたま校門で鉢合わせ、成り行きで帰ることになった。彼はそんな僕の姿を、中学の教室の窓から見ていたらしい。
帰っていると電話が掛かってきた。
「死ね、死ね!」
と何回も言ってきた。
「なんでそんなこと言うんだよ!違う、たまたま逢ったんだって。」
そんな言葉も聞こえてなかった。
「今から追いかける、待ってろ」
と言われた。声音が明らかにおかしかったから、僕は先輩に話して、一人で急いで駅に向かい、電車に飛び乗った。
心臓がバクバクした。どうしてそんなこと言われなきゃいけないんだと思ったし、こんなに僕に攻撃の矢印が向いたのも初めてに等しかった。
少し戻るが、僕が「頑張れ」と言ってしまっていた時、彼は急に教室に来て、僕の首を締めたことがあった。周りには悲鳴を上げた子もいた。ギリギリのところで彼は僕の首から手を離して、僕はその場で咳き込んだ。みんな、ますます彼に対して恐怖の視線を向けた。ブワっと砂の塊に風が当たったように、僕と彼の周りの人が扇状に広がって離れた。僕は、彼のことを庇いたくて、「あいつ、やべえな!」と笑って誤魔化した。確かに怖かったけど、僕はそれ以上に、なるほど辛いんだろうなと彼の気持ちを理解をしたつもりだった。
でも、理解はしてたけど、多分、共感はしていなかった。
今なら、タイミングが悪かったんだろう。なにかあったんだろう。あの時の「死ね」はきっと自分に言ってたのかもしれない。今ならそう思う。そして、適切な距離感を保ちながら、適切な大人に助けを求める。
だけど、その時の僕は、「どうしてこんなに理解してて助けようと頑張っている僕に、そんなこと言ったりしたりするんだ」と怒りと悲しみが湧いてきてしまった。
その日を境に僕は、彼と顔を合わせても、他人のフリをするようになった。心が固まってしまった。氷はいずれ溶けるが、僕の心は凍ったのではなかった。コンクリートのように、固まってしまった。
彼の苦しみとそれに伴う過激な言動、僕の好奇心と偏った庇護欲は非常に相性が悪かった。
ここから本当の、僕の後悔のターンだ。
僕は、持ち前の人への”興味”で、たくさんの”知り合い”がいた。それもあったし、高校受験の内申のためにも必要だったこともあり、僕は中学2年生の冬から、生徒会長をやることにした。
また嫌な言い方をするが、勉強もトップにいたため、みんな周りは一目置いてくれていた。生徒会長ともてはやし、僕が何か言えば「正しい」と周りは頷くような状況だった。
そんな状況で、僕は彼と縁を切った。もうなんとなくわかるだろう。僕が少し嫌だという雰囲気を出せば、周りも合わせる。彼は少し孤立するようになった。もともと1匹狼だったし、少し怖がられていたから、ものすごい変化という変化はなかったのだが、僕は「仲良くしてても、流石に死ねと言ったらだめだろ」と周りに話してしまった。同じバンドからも、追い出す形になってしまった。
彼の具体的な状況を知っていたのは僕しかいなかったのに。僕はその時、そこそこの影響力を持っていたのに。
彼も最初は気にしていなかったようだが、少しして、彼の母親が僕の母親に謝りにくるようになった(僕の母親は何も知らず「子供たちのことですから…」と濁していた)。担任の先生たちも、何か大変なことが起きたのではないかと様子を尋ねてきた。
でも僕は「許すつもりはない」という態度をとったし、彼も僕のことを「八方美人の偽善者だ」と言い続けた。
そうやって小学5年の春から始まった僕らは、中学2年の初夏に終わり、そのまま中学を卒業した。僕は高校受験をして外の高校に出て、本格的に縁が切れた。
もう本当に二度と連絡を取ることはないと思っていた。
高校3年生の冬、センター試験を間近にして、僕の母親が統合失調症になった。叫ぶ母親を抱きしめながら真っ先に彼を思い出した。僕は、本当に偽善者だったと、そこで自覚した。
僕がその状況で、彼と同じ気持ちになったからなのか、母親の精神を落ち着かせようと頑張った時に彼への対応を思い出し反省することが多かったからなのか、どうしてその自覚・後悔が生まれたのかはわからなかった。が、僕はそのとき、彼に謝ろうと決めた。
本当に勝手だと思う。自分がそんな立場になってやっとそう思うんだから。どうでもいいけど、それ以来僕は経験主義の思想を持つ。自分自身が、経験があることしか共感することができないと気づいたから。
僕たちは20歳になった。僕は本気で謝罪をして、僕の気持ちも話した。彼も、当時の自身のことを反省し謝罪してくれ、僕の謝罪も受け入れた。大人になった僕らは、もうわかっていた。二人で会うのは無理だということを。中学の頃の共通の友人を介して一緒にいつか会えたらという話をした。本当に会えることはないともわかっていた。だが、その言葉を交わしたことに意味があった。
僕らは幼かった。当時、12〜14歳で、周りに助けを求める術も知らなかったし、「助けて」が素直に言えなかった。お互いの一つ一つの選択が最悪の方向に向かっていた。
今から思えば、彼は「僕の好きな人と同じ人」が好きだったのではなく、僕のことが好きだったか、僕が恋愛をすることで彼は僕が離れてしまうのが怖かったのではないか、とも思ったりする。とにかく、全く健全な友人関係ではなくなってしまっていた。
縁が切れていた高校の間も、大学に入ってからも、彼の情報は共通の友人を通して入ってきていた。やはり、精神的に安定している時期は、ほとんどなさそうだった。自殺未遂も何回かしていそうだった。ただ、僕と過ごしていた時よりも、好きなことを見つけて一生懸命生きている様子は伝わってきた。
僕は「精神的に弱っている人にむやみやたらに手を差し伸べるべきでない」と、彼に謝ったときから自分に言い聞かせている。もちろん世の中の全てのケースでそうだとは言わない。ただ、僕は、本当に”偽善者”だった。”興味”や”正義感”、”庇護欲”だけで人は救えない。当たり前だろう。それを”その感覚を持つ当本人”として自覚した。そして、世の中、それに気づいていない人間が多いようにも見えた。「死んでもいい覚悟で本気で助ける気持ちと、慎重な動きが必要だ。」ということを僕は言っているのだが、どうにも僕のことを「冷たい」と言い放つ人がいる。まあしょうがないか、僕は偽善者だ。大差ない。こんな文章を書いていること自体、信用ならない。
そんなことを考えるような人間に僕はなっていた。
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昨晩いつも通り音楽を聴きながら湯船に浸かっていると、幼馴染から急に電話がかかってきた。
昨日うちで会ったばかりなのに、何の用だろう、忘れ物か。
「どうした、急に?」
「あのさぁ、今暇?」
「なんだそれ笑 今お風呂入ってるよ」
「あ、本当だ、めっちゃ響いてる笑 小学校のときの〇〇、覚えてる?」
なんだ飲み会か、最近幼馴染と連絡を再び取り合うようになって、急な飲み会のお誘いも来るようになってもおかしくなかった。
「覚えてるけど」
「いやぁ、その子から急にインスタのフォロリクがきてね、DMがきたの。それがさぁ、”彼”が亡くなったんだって」
全然違った。幼馴染の口から出てくるであろうと予想してたものとまるで違う、180°反対の内容の言葉が出てきた。
「え、どういうこと?」
「いやぁ私も正直、驚きすぎて言葉が出ないんだけど…。それでね、お別れ会があるらしくて」
なんて淡々とした電話だったんだろうって、あとから思ったけれども、幼馴染も言葉を慎重に選びながら僕に伝えるべきものだけ伝えてくれたんだろう、きっと不自然なことはなにもない電話だった。
「一応、君にも連絡した方がいいかなと思って」
「そうだね。ありがとう教えてくれて。」
「来るでしょ?お別れ会。」
「うん、行きたいとは思うけど。行っていいのかな。」
「行ったほうが、いいでしょ。」
「恨まれないかな。」
「いやぁ、大丈夫だと思うよ。」
幼馴染は彼と去年まで連絡をとっていたようだった。そんな彼女が言うなら、多分行っても大丈夫な気がした。でも、やっぱり一人で行くのは無理だと思ったから、一緒に中学で一番仲良くしていたやつも誘った。
まだ実感が湧かない。良い思い出だけじゃなかったけど、確実にあの3年間半、僕らは一緒に過ごしていた。だから、気を抜いたら手が震えそうだ。
許してほしい、でもない、かわいそう、でもない、ごめんね、でもない、おつかれさま、でもない、なんて言ったらいいだろう。お別れ会に行って、僕は何を思えばいいんだろう。20歳の時しっかり僕らは話したから、謝るのも泣くのも違うと思ってる。どうしたらいいだろう。
幼かった、だの、自覚した、だの書いたけれども、何一つ僕は変わってないのかもしれない。やっぱり、あの時どうするのが正解だったのかわからない。関わったこと自体が間違いだったのかもしれないと考える時もある。
本当に色々あったよな。ここに書いていないこともたくさんあるし、いままでのは、全部僕の視点の話だ。そして、もう君からの視点の話は聞けない。
私小説というものが世の中にあるらしいけど、僕は文才がないから、私小説のような実体験のような、よくわからない中途半端な文章を世に放つ。
こんな僕が何言っても鳥肌が立つほど気色悪い。結局僕は傲慢で身勝手で、自分が救われたいだけだ。わかってるから、救えなくてごめんなんて、そんなことは言わない。それでもひとつ聞いてしまう、一緒に過ごした時間はこれからも大事にしてもいいだろうか。いいと言ってくれたら嬉しい。
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