蜂蜜の壺

愛の溜まり場、言葉の液垂れ

最近のこと、ラブリーな独り言

おひさしぶりです、はにたんです

 

ギフテッド発売されたね、実は買えてない…。買えてないくせに一丁前に最近のことを、なんとなく残したくなったので残そうと思う。

 

推しは全く関係ない、エッセイ的な独白です。黒歴史になるやつじゃん。いやん。あはん。

せめても、人間観察が好きな人の、眠れない夜の肥やしになりますように。

 

 

てのも、なんか最近私随分変わったなあと思うことが多くて。考え方も感じ方も、この半年間いくらかでだいぶ変わった気がする。

 

一人暮らしして生活費も娯楽費もなにもかも全部自分のお金で生活できるようになったのが1番の「環境的な変化」なんだけど、それに伴ってめちゃめちゃ「精神的な変化」がもたらされた。マジで、本当に、デカい。

 

自己選択、自己責任、なにもかも自分で選んで文句言っても自分に返ってくるだけ。

使いすぎて食費を切り詰め………ることはまだ何故か起きていない………。

なんせ残業代が固定給の半分以上出ているから(※今月なんてサビ残入れたら70h越したよ)。なのでまだ痛い目は見てないんだけど、まあその感覚ってのは養われてると思う。

 

これが、多分、恋愛にも及んでいる。でもこの繋がりってのがうまく言語化できないんだけど

 

・「嫌われたらどうしよう」がなくなった。"嫌なら離れようお互いその方が幸せだし、恋愛は差し色だ"と思うスタンスで生きている

・好きって言葉で相手を繋ぎ止める癖がパタリとなくなった

 

という変化が恋愛に及んだ。これ結構デカくて。だってもう精神的弱弱の2大巨頭みたいな感情じゃん。

 

 

そしてそんな状態で出会った彼にも恵まれたような気がしている。気がしている、じゃないな、間違いなく恵まれたな。

 

 

夏くらいに高校の友達と「引き寄せ」について話してた。

もとい、私は小さい時から恋愛ドラマに恋愛小説に、どっぷり浸かって生きてきてしまったがために、「飄々としているけれど繊細な感性を持ち合わせている」とかいう、ホコタテばりの特性を併せ持った男への憧れが消えなかった。

 

推したちはかーーーなりそれを叶えてくれていると思う(ex.増田貴久、中村倫也、ミンユンギ、けもなれ(ドラマ)の恒星さん(松田龍平))

 

だから私はこの夏、遊んでいた高校の友達に最寄駅でバイバイと手を振りながら誓った。

 

「私、絶対に私にとってのイイ男、引き寄せるから_______」

 

 

いや本当に、半分冗談だった、ごめん、ちょっと(かなり)際どいスピリチュアルな言動をしてた、ごめん、友達

 

でも本当に引き寄せちゃったんだよ

 

めっちゃ飄々としててフランクで、でも同じように瞬間的なものに心が動く人

 

私はせっかちで勢いもそこそこあるタイプ、彼はゆっくりじっくり進めたいタイプ。

私は基本的に従順属性、彼は基本的に飄々としてる。

私は石橋叩きまくる、彼は迷わず進む。

 

めちゃくちゃ反対にいるしお互い各自で矛盾した性質を持ってるんだけど、

好奇心旺盛・日常の何気ない瞬間が好き・良いと思うものが似てる感性おかげで、毎日を過ごすにあたって心地が良い。

 

実際初めて電話した時から会話が止まらなくて、今でもあっという間に時間が過ぎてしまう。し、お互い気楽さに感動してビビっときて付き合い始めたみたいなところがある。たぶん。まあ…アタシは、顔も好きだけど。。彼は私の顔好きなんだろうか……知らん……

というか私、今、自分の顔面の評価に対して知らんって言ってる。天変地異起きそう。

いやいや、そりゃだって、高校生の頃のトラウマから見た目に対する評価が絶対になりかけてて、いわゆるルッキズムに囚われたくってた私だから、「横顔不細工だから横に立たないでくるぇ〜」って思うのも常だし、仕事帰りに会えば「メイク崩れてるし前髪割れとるんじゃ〜い」って悲しくなるんだ。Chu!可愛くなくてまじでごめん。

だけど、私の良さ、可愛いところじゃないから!!!

これも仕事のおかげである。ミスもたくさんするけど、私、働いて職場でコミュニケーションとってお金もらって、世の中回してんのやって気持ちがあまりにも私を救ってくれている。宗教か?こうして社畜が出来上がっていくんだな。でも私にとってものすごい安心材料なのだ。この環境が。

ほらまた大きく変わってる。やばいよ。大丈夫?変わり過ぎじゃない?ちょっとちょっと、運命変えちゃってんじゃないの〜???

 

ああそんなことはどうでもいい。彼のもっと好きなところが細かくたくさんあるんだ。本当はめちゃくちゃ呟きたい、言いふらしたい。でも、私だけが彼のそういう一面を抱えていたいって気持ちが、ちょっとだけある。こんな気持ち抱いたのもちょっと初めてで戸惑っている。

 

そんでもって、相手に伝える「好き」って言葉がここ半年で本当に重くなった。喉の上の上の方まで、もう言いたくて仕方ない気持ちは昔と一緒。好きって言いたくて(喉にモノつかえたんと違うか…?)くらい心臓がムギュ!と潰されるくらいの好きって気持ちは、今までの恋愛とも変わらない。でもその言葉たちがどうしてだか、全然出てこない。

かっこいいなあと思った時、優しくて沁みた時、楽しくて一緒にはしゃいじゃう時、良さがわかってるなぁと共感する時、全部喉の入り口まで「好き」が出かかって、急ブレーキを踏む。

 

「好き」と伝えることが、私の恋愛にとって重要じゃなくなったのかもしれない。

「好き」であることはものすごい強いけど、同時に「好き」であることだけでは乗り越えられないことがたくさんあるって知ってしまったから、今感じている大事な気持ちたちを、「好き」とひとくくりに、同じにしたくないのかもしれない。

 

そういえば彼も言わない。でもどこか行ってお土産を買ってきてくれると居なかった時間も考えてくれたことがわかるし、自分の意思を持って私と話したい・会いたい・泣いてほしくないって伝えてくれるから、その表し方を私も見習いたいなと思う、伝えるのが上手だなあと思う。

 

なんだろうね、愛なのか、これが……

私は愛をまだあまり知らないのかもしれない、彼は私の知らない愛をたくさん持っている気がする、一緒に過ごして知りたいなと思う

 

ここ1ヶ月であまりにも私の仕事が忙しくなってしまって、ついこの間の日曜日も私が仕事をしなければいけなくなってデートが流れちゃった。次会えるのは来週だから、ほぼ毎週コンスタントに休みに会ってたから実はちょっとだけ耐えられない。西野カナになってる。

心から好きだから震えてるのか、まだ少し依存性が残ってるからなのか、どっちなのかわからない。わからないことが少し怖い。でも忙しさに目を瞑らせてもらっている。そんなこと考えてミスなんてしようものなら、私を今支えている「仕事をしていることによる自立」という軸が折れてしまう。

 

 

あれ………待って…………これ仕事に依存してない……………???

ちょっと今耳元で何かが囁いたような気がする。だけど今は無視をする……

 

 

実際付き合ってから心が脆くなった。しんどくなったらいつでも連絡していいよなんて言って、同じ会社なもんで本当に助けてくれてしまうので、どんどん心が崩れていく時がある。

 

でも、本当はもう崩れかけてたかもしれない。推しのインスタにいいねを押す気力すらない毎日。きっともう折れてたところ倒れ込んだに等しい。

 

申し訳ない。私は彼のことを何も支えたりできている気がしないのに、ずっと支えてもらってばっかりいる。

 

だけどね、ちょっと私は強くなったから、お互いが無理しないペースでなるべく長く一緒に居られたらなと思ってる。これはせっかちで不安定だった私が、経済的自立と落ち着いてる彼のお陰でやっと手に入れられた感覚なんだなって、さっき長風呂をしながら思いました。

 

 

 

こんなことを言っておきながら、どうしようもなく、この人との未来が終わってしまったら嫌だという気持ちにたまにすごい勢いで呑まれる。夜洗濯物干してる時とか、寝ようと枕に顔を預けた瞬間になぜか大粒の涙がボロボロ溢れる時がある。爆発するタイミング謎だけど。

けど、この気持ちも大事にしたいなと思う、多分それくらい私は相手に無償の愛を持つことができているという証拠な気がするから。無理にこの涙を"よくないもの"として扱いたくもないんだ。

 

私、こんなところ辿り着いたんだなって最近思うんだよね。そう、最近のこと…、ロマンチックに語っちゃったよラブリーな夜だね

なりたいなれない鮮やかな少年たち

こんにちは、またまたお久しぶりです、はにたんです、元気にしてますでしょうか。

 

またいろいろと事務所がバタバタして、アイドルについて考える時間が増えましたね。アイドルってすごいや。各グループが奇跡的に成り立ってるんだなと思ったりする。(※これを書き始めたのがキンプリ報道の直後だったため)

 

自分はなんでこのアイドル集団にワクワクやときめきを感じるのかなと考えたとき、かっこいいなとか好きだなと思うと同時にやっぱり沸々と(沸々と…?)湧いてくる感情があるんですよね

 

(ああ、羨ましい。私も混ざりたいそういうふうになりたい。)

 

って。。

 

思えばこれ、アイドルを好きになったからとかじゃなくて、物心ついた頃からずっと自分の心の中にあった感覚な気がする。

 

私はいつもあの男子のわちゃわちゃした空間に混ざりたかった。それはいやらしい気持ちや下心といったものとは全く無縁な、ただただ、本当にあの、くだらないことをどこまでも面白おかしくしてしまう、最強の集団に、混ざりたかった。くだらないことをくだらないと片付けることなく極めていく、あの純粋さに憧れがあった。

 

 

私、小学生の時に電車通学をしていて、まあその沿線には他の小学校もたくさんあり、たくさんの子どもたちが学校単位で固まってたんですよ。基本的に友達と帰ってたけど、時間が合わなかったりすると一人で帰ったりもする。図書館にあった「料理図鑑」は私のお気に入りの本で、よく借りて読みながら帰ったりしてましたよ。

 

そうやって1人で大好きな図鑑を読んでいても、なんか耳から侵入してくる面白い言葉たちが気になったりしてた。それが、他校の男子小学生たちの話し声だったりする。玉ねぎのくし切りなんてどうでもいい、何?何を話してるんだ。

 

小学2〜3年あたりか、6人くらいで固まってて、どうやら物語を全員で繋ぎ繋ぎ作って話している。いやこれがマジで面白い。急にアンパンマンがムキムキになって暴れ出して天使が舞い降りてきたりする。なんでだよ。めちゃくちゃだよ。

 

本人たちは笑って過呼吸起こしそうになってる。ごめんけど、盗み聞きしてた私も面白すぎて目を伏せてた。…………ああ〜〜混ざりたい!!!

 

 

でもその面白いあの独特の雰囲気に混ざりたいと思うだけで、実際自分がそういう場で同じように面白いことが言えるわけでもなければ、その他における男子同士の雑な扱いに耐えられるのかといえばそうでもない。美味しいところだけ貰おうとしている、なんとも姑息な生き物である。

 

推したちがわちゃわちゃしていると、そんな感覚がたびたび訪れる。もう幾度となく感じた感覚が、アイドルを追いかけるようになってまた私の元を訪れるのである。

 

もはや、絵画を眺めてるくらいの気分だ。こんな色を使うんだ、私は持ってない色だな、とか思いながら、そのきらきらした一瞬一瞬が鮮やかで羨ましくてたまらない。なりたい、なれない……彼らを見るとそんな気分になってくるのである。

 

NEWSの20周年動画だってそうだ。"畑で野菜収穫してるだけ"なのにいじりが発生するとか、めちゃくちゃ暴走してネタに走ってるメンバーがいるのに不思議なほど当たり前のように流しているメンバーとか、急に真顔になって沈黙の後に吹き出しちゃうとか、、、

 

 

けーぽオタクもし始めたけど、彼らもなんとも子犬の群れのように戯れる。転がる。

顔が近づきメンバーがメンバーにほっぺにキスをする。「うわぁあああああああ!!!!」全力でその箇所を擦り振り払う。気持ち悪そうにするわりには、心底嫌というよりもはや笑ってしまってる。ってかなんでそんな楽しそうなんだ???

 

この世の動作が全てキラキラして見える。いや、見えるんじゃない、キラキラしてるんだ。

彼らの一挙手一投足、ひとつひとつの発言がすべて輝いている。もう1秒前には戻れないそんな青春のような儚さを含みながら、それでもその1秒1秒を仲間と一緒に、くだらないことにも全力投球してその瞬間を楽しんでいる。。 

 

 

羨ましい。私はそれが本当に羨ましい。

なりたいなれない。性別も性質も楽しみ方もまるで違う。なれないから、理解できないところがあるから、輝いてるんですかね、なんだろう。不思議だ。

 

 

そんな鮮やかな彼らを見て、私は今日も口から溢すんだよ

 

 

はぁ、尊い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにもない日を過ごす、ということ

こんばんは、お久しぶり大根、はにたんです。

 

またオタクと関係ない話です。というか、もうここ、ほとんど自分語り備忘録の場になってきている気がする。壁打ちです。いつも目を通してくれる方々、ありがとうございます。今日もひたすら一人で球投げて打っていきます。よかったら見ていってください。

 

今日なんとなく書きたくなったことは「なにもない日を過ごす」ということです。

 

予定が入っていて忙しい日、例えば友達と遊ぶ日だったり仕事がある日だったり、そんな日は、まあなにかしらやることがあるわけですから、特になにか言うことはない、今回は。

 

問題なのは「なんにもない日」です。

 

忙しくしていると、そんな日がない人もそこそこいるかもしれませんが…、私は今身分としてはフリーターです。来年の4月から職に就きますが、いまのところ、フリーターです。なので、時間がまあ有り余ってます。アルバイトがない日は、家事のお手伝い以外基本的に何もないです。

 

その時にね、なんか毎回思い出すんです、小学1〜2年生の時の担任の先生(当時65歳)の話を。

自分が通っていた小学校では1〜2年生の間は絵日記を、3〜6年生の間では作文を、毎週書かなきゃいけなかったんですね(よく考えたら6年間ずっと毎週なにかしら書き続けてたのやばいな、えらすぎ)。

そうなると、みんな絵日記や作文の内容が「〜〜で遊んだ」とか「〇〇ちゃんに会った」とかそういうことが多くなるんです。やっぱり「誰かと何かした」というのが、いちばん書きやすい。当たり前だけど。

 

その状況に対して、担任の先生は保護者会で、「なんにもない日を過ごせる、ということが大事なんです」と言ったらしい(親談)。先生の言葉の真意は、「何かないと楽しいと思えない人間になってしまう」だった気がする、そんなことを言っていたような。

 

この話を聞いた当時、私はまだ、ダンゴムシを筆箱の中で飼って遊んでたような子どもでしたから、何かある日と何もない日との差を感じられるほど成長してませんでした。ダンゴムシが死んじゃったとか、泥団子がピカピカに磨けたとか、ドロケイで捕まっちゃったとか、うんてい・鉄棒で遊んで手が豆だらけになったとか、そんなことが私の世界の中心でしたから。今から考えたら、わかってないなりにも上出来じゃん?と思うけど。

 

なんとなく、ずっとその言葉が忘れられず、今でもたまに浮かぶんです、なんにも予定がない日に。すごいよね、人間の記憶。

親も、先生の言葉に感銘を受けたらしく、勿論お出かけや旅行もしたけれども、一緒にロールキャベツを作ったりお散歩したり、そういうなんもない日を一緒に過ごしてくれていた気がする。私の日記や作文はそういうものが多くなった。小学2年生の時に先生に選ばれた絵日記はツバメの巣を毎日眺めていた期間の話だし、小学6年生の時に先生に選ばれた作文は最高学年になって見上げた通学路の桜の話だった。

 

人生、なんにもない日の方が圧倒的に多いじゃないですか、多分。それをノーカウントで生きているのは、少しもったいないような気がする。これは私の拡大解釈だけど。

 

あと、「なにもない日のおかげで、特別な日が際立つ」みたいなのもあるけど、これは結構おまけ的な効果だと思っている。おまけのくせに効き目が強すぎるんだ。だけど、おまけだと思いたい。なんか、なにもない日が蔑ろにされている気分になるじゃん。私の中では「何もない日」が主役であってほしいので。上記の言葉は、特別な日が主役でそれを際立たせる「何もない日」みたいじゃん。ちがうってば(わかったわかった)。先生が言っていた、何かないと楽しめないにも繋がっちゃうし。

 

先ほど書いた通り私はいまフリーター期間を謳歌しているので、バイトの日と友達と会う日以外はなんもない日です。勉強もしなきゃなあと思うし、こういう推し活もしたいし、何かしなきゃどこか行かなきゃって気持ちがどこかにあるのも確かなので、うーん、どうなんだ。これは、なんでもない日を過ごせているのだろうか。

 

なんもない日に、何かしているというだけで、ちゃんと"なんもない日"を"過ごせている"気はする。なんもない日=じっとしていないといけない日、というわけではないし。少なくとも、こういうブログを書いているこの時間は、過ごせていると信じたい…。

 

 

日常的に感じる良い瞬間だったり、自分の感情の機微みたいなものを、こうやって逃さず言葉にして、見返してはまた味わいたいもんよ。それが私なりのなんもしない日で在りたいわね。

 

 

 

 

 

 

私たちって、本当に「強くならなきゃ」いけないの?

こんばんは、はにたんです。

 

少しだけ今一息つけて、ふと思ったことがあって、超個人的な備忘録を書きます。。

 

中学校から大学まで、自分が腹割って話せる仲の良い女友達はざっと、7〜8人いて、そのうち3人がもう社会に出ているのだけど(年齢的に出ているのが当たり前なのに少ない笑)、その子達の会社での話とか、社会に出た後で学生時代を振り返ると意外とこうだったとか、そういう話を聞いて、なんだかすごく違和感を感じることが最近多い。そしてもちろんまだ社会に出ていない、学生をやったり私と同じく就浪してる子とかと話しても感じるんだけど。

 

そしてその違和感というのが、私たちっていつから、どこのタイミングから「強くならなきゃ」って感覚が生まれて、そんなことを無意識にでも考えながら過ごしてるんだろう、ということなんですが。。

 

前置きすると、特に自分はジェンダーとか詳しいわけじゃないのと、フェミ的な考えを掲げているわけでもなく、ここで「女」を訴えるつもりはない。つもりがないだけなので、そう見えるかもしれないけど。あと、ちょいちょい女らしさみたいなニュアンスの表現がでるかもしれないけど、この時代にLGBTをガン無視しているのではなく、単純に私の身の回りの仲良くしている女の子たちが、女という自覚をもって女として生きている子たちだからそう表記している、という前提。(こんなに前置きしないと少し燃えそうだなと思うくらい、多様性への理解がまだ当たり前になっていないことが、そもそも悲しい。)(ってか多様性への「理解」と「肯定」って別なのに、「理解」=「肯定」だと思ってる人が多いから馴染まないんじゃないって個人的考え。そんな世界にも悲しさが増しますが…ってこれまた別の機会に書く内容だわ。)

 

さて、詳しく。

というのも。

仕事の面で張り切れば「女のくせに」という雰囲気が流れ、他者と接する機会があれば「女は愛想」って謎の愛嬌を求められ、少しおしゃれを楽しめば「男できた?」とか対象を探されたり。いちいち言う必要ある?みたいな一言が、ついてくる。

こういうこと言われたり、そういう空気が流れたりって、もうこんな時代だからなくなってきてんのかなって思ってたけど全然現在進行中で存在してることが本当に悲しい。

 

確かに、私たち女性は、生物学的に身体の特徴として、筋肉は男性より基本的に少なくて体力もない。女性ならではの視点で、闘争心より丸く収めていくことを好んだりもする。好きな男性に可愛いと思ってもらいたくておしゃれすることもある。

 

でもそれってただの特徴のうちのひとつだよ。

 

その特徴がどこかの場面で不利になったり活きてきたりするのは、まあそんなのは当たり前なんだけど。

 

ここでその、不利な場面(その特徴をもとに何か嫌味や踏み込んで欲しくないところまで言及される、みたいな)で、大体、私たちが持つ感覚が「強くならなきゃ」なのが、なんか個人的にすごく嫌だ。

 

「なんかバカにされてる」とか「誰かのために自分が存在してる」って感じて悶々とした気持ちを少しでも感じた友人や自分に問いかけたくなる。

 

私たち、「強い」必要ってある?いや別にね、普通に自分が自分らしく過ごした上で強くなりたいなら、全然それでいいんだけど、こういう抵抗の気持ちを発端に「強く在る」ことを自分でいるためにプラスするのってなんかすごい嫌なんだけど。私だけ?多分私だけじゃないと思うんだけど。

 

かっこよくあるための強さ、と、自分の陣地を守るための強さって、容姿とか態度とか似ている部分もたくさんあるけど、角度とか心持ちが全然違うんだよ。そんな、そんな強さ、今まで私たち求めてたっけ?

環境次第で学生時代からなんとなく男尊女卑の傾向があるコミュニティにいてそんな気持ち抱いていた人もいるだろうし、会社勤めるようになっていろんな人が集まるところで実感する人もいるので、強くあらねばと感じる場面やタイミングは人それぞれなんだけど。

 

何か「これなら自分の能力を活かせる」と思ってちゃんと出力したいし、「その場にいる人たちみんな快い気持ちであったらいいな」と思うから協調的になるし、お洋服とかも「自分のために」「自分がありたい姿」のために着たいよね。

 

どうしてここで「何か言われるから、それに備えられる要素がないと」って思わないといけないんだろう。どうにか別のすり抜け方はないのかな。

これはまだ私たちが20代半ばだから、こう思うしかないの?それとも、この先もずっとこうなの?

正直なんかそういう「え?」って思っちゃうようなこと言われたりされたりして「強くなる」みたいなムーブが友人や自分に訪れるたび、私たちの本来もっている何かが薄れていく感じがして、すごく嫌だ。結構私の周りの女の子たちは、考えに芯が通ってて嫌なことを嫌とはっきり言うんだけど、それほどしっかりしてるからこそ、強さを兼ね備えることができてしまうことが逆に悲しい。もちろん、強くなることでいいこともあるけどね。現状を否定したいわけじゃないんだけど、ただ、その強くなる必要性に迫られた、という事実が、なんだかな。やっぱ嫌だわ。

 

さっきから「嫌だ嫌だ」いってるけど、ただの個人ブログだし、まとまりないけど、私的な感情の備忘録なので書いたぞ〜〜すっきり〜〜

 

この気持ち忘れたくないなあ。自分も社会でたら実感するのかな、もしかしたらもっと大人になって振り返ったら「尖ってたなあ笑」って思うのかな。まだわからないけど、とりあえず「強くならなきゃ」という気持ちに少し抵抗してみたいと思う、今日このごろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的「思わず噛み締めてしまう感覚・シーン」陳列集(随時更新)

お久しぶりです、はにたんです。

 

NEWSの応援歌についてブログを書こうとしてたんですが、なんだか帰り道に「19時過ぎたのにちょっと明るいのいいな…」とか、「8割くらい曇ってるけど、雲が夕日で紫色になってていいな…」なーんて感傷的になってしまい、そんなことを考えていたら「セ○ンの春巻きを買ってきてすぐ食べると、春巻きの皮がパリパリしててあの瞬間がいいんだよな」とか、どーでもいい、当たり前の「イイ」が頭の中に渋滞してしまいました。

 

ヤバい、なんとかして浮かんだコイツらを覚えておきたい!!!そんな気持ちで今帰宅してすぐこれを打っています。こういうのって、考えているときに胸が高鳴ってどうしようもなくてワクワクできるのに、少し時間が経つと薄れてしまって、しかもどうやっても同じような思考・感覚には2度と辿り着けないので残したくなっちゃうのよ。

 

どちらかというと、音楽を本格的にやっていた『理屈なんてンなもん要らねェ!』感性・感覚第一の中学友人たちがめちゃ共感してくれるかんじある。高校以降の人たちは、私がいじられキャラだったのもあり「独特だな…またなんか変なこと言ってるよ…」とかわされそうな感じ。でも私は知っている、そういいながらみんな本当は想像してちょっとは「確かに」って思ってることを。

 

だからなんだっけ。

 

待って、大した内容でもないのに導入長くね?本当に基本的に冗長だな、私。

 

まあいいでしょう、とりあえず思いついたのどんどん上げていこ。

 

(※2022.5.22)

・夕方のもう暗くなった時の紫色の雲

これはさっき見たんだけど、なんかレア感あってイイ。こういう空を見てるとき、少しだけ、今隣にこの色を共有できる人がいたらなと思ってしまう。道ゆく人に声をかけるか迷う(嘘)。

 

・セ○ンの春巻きを買ってすぐ食べる時の、春巻きの皮のパリパリを感じる時

これも今歩きながら浮かんだやつ。別に揚げたてじゃなくていい。あの陳列してる棚から出て、直帰してすぐ食べるか、駐車場でみんなで立ち食い(品がなくてよ…)してるときに感じるアレ。中はちょっとぬるいんだけど、ギリ外側のパリパリは保持しているあの感じ、イイんだ。

 

・朝早く目覚めて、まだ家族が寝静まってるときの一人だけ自由に洗面所も台所も使える感じ

これは人によると思うけど、個人的に、実家で家族が寝静まってる(同時に早朝なので近所の音も静かな)”朝”で、”晴れ”の日に限定。早朝で少し光が青っぽくて、小鳥のさえずりだけが時々聞こえて、洗面所も台所も自由に使える。ただし家族を起こさないように気持ち静かに音鳴らさないように慎重に動くときの、ちょっとした背徳感とワクワクの間みたいなあの気持ち。イイんだこれが。早起きは三文の徳とか言いますし。

 

ゲリラ豪雨のあとのちょっと曇った白っぽい空と、めちゃくちゃマイナスイオン感じる空気

晴れててもいんだけどね、ゲリラ豪雨のあとにまだ雲が残っててすごい白っぽくなるあの感じ好きなんだよなあ、匂いも自然を感じてね、動物になった気分になります。イイ。

 

・お昼時、道歩いてたり、洗濯物ベランダに出しに行くときに匂ってくる、「他人の家の」お昼ご飯の匂い

パスタ系だったり、お肉とか、カレーとか、なんかやたら香らせてくる家々がある。ちなみに夜になるとシシャモとか肉じゃがの匂いがする時もある。正直飯テロに近い、でもイイ。

 

・謎なほど濃い澄んだ青い空に真っ白なモコモコ雲が浮いてたとき(特にその雲がめちゃくちゃくっきりしてて、影とかもグレーで絵の具で描いたみたいに立体的だったとき)

この空に出会うと、見上げて気づいたときには「エエ〜!?絵画なんですが〜!?」って四肢をばたつかせてしまう。速攻カメラで収めるのである。

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(ちなこれ、iPhoneで無加工、すごくない?)

 

・コンビニで友達とかと買ってその場で食べるホットスナックorアイス

冬は寒いから、あったかい春〜涼しい秋限定かな。中学の時に仲良くしてたグループでしょっちゅうやってて、それからずっと学校が変わってもその当時の友達とかとよくやったやつ。正直歳を重ねれば重ねるほどやらなくなってきて少し寂しい。大人になってしまったのかな、なんて(ここで大人への成長を感じるのもよくわからないが)。だいたい食べてる時みんな集中してるから無言。それを後から「なんか、ウチら食べてる時無言じゃね???www」って面白くなっちゃうあの時間、イイ。

 

・宿泊(行事も含む)の時に「夜になってきたな、でも今日帰らなくていいんだな。あれ、夜の自由な時間めちゃあるんじゃない?」と、謎の余裕・興奮を感じる20時ごろ

これ20時ごろってのが私のポイント。19時でもいいけどちょっと早いし、21時だともうなんか宿泊の特別感に慣れてしまうんだよな。20時、この辺りがベストです。異空間にいる感覚、ギリギリ帰る選択もできそう引き返せそうだけど、ここであえて宿泊という選択をした上で、0時まで4時間もあるし、アレ?俺らなんでもできちゃうんじゃない???みたいな謎の無敵感。学校行事とか複数の友達とのお泊まり会とかだと、大体みんな「先入っていいよ」みたいな、お風呂を譲り合い始める時間、あの感じも好き(クセが強いんじゃ)。

 

・夏のお昼間、めちゃくちゃ晴れてる日に、家を出る時、駅から目的地に向かう時に感じるただならぬ白い太陽の光

確かに紫外線は敵。だけどあの鋭くもキラキラしてる夏の太陽にはかなわんのよ〜。私の頭の中では星野源の「夢の外へ」が流れ始める。早くアレを感じたい、夏まで待ち遠しい(※現在2022年5月22日)チャンチャンチャンチャン×8 (チャラララララン)チャラチャラチャラチャラ デーンデーン♪夢のそ〜とへ 連れ〜て〜〜って♪

 

なんかもっとある気がするのに今思いつくのはこんなもんだな。いやでもマジでまだたくさんあるの。思いつき次第書き足すぞ〜!!!

 

(※2022.6.10)

 

・雨の日の、建設中の木造住宅の匂い

これ最近雨が降った時に、家から図書館に向かう道で気づいたの。雨の日にすごい木の匂いが強くなる。びっくりした。森林浴的な気分になった。

 

・すごい綺麗なホテルとか、でっかい会社のロビーの中を歩いてる時(特に中から外に出る時)

この瞬間いつも、自分がシゴデキバリキャリウーマンで営業に外に出る、みたいな気分になるんですけど私だけですか???アン・ハサウェイになりきって、Suddenly I Seeが脳内で流れ始めるんですけど、私だけですか???

推しと自分の人生と

推し、それは自分の人生に彩をもたらしてくれる存在。推し、それはどんな辛い時でも先にどことなく光があるように思わせてくれる存在。推し、それは時としてオタクの人生を狂わせる魔物のようなもの。。

 

「精神の癒し」である推し、それが精神を破壊してくる存在にもなりえる。。

 

キャーーー書き方がアレすぎて蕁麻疹出そう〜〜〜〜〜〜wwwwwww

 

まあこの言い方は極端であって、簡単に言えば「供給が多くて追えませんwwwwww」とか「忙しくて追えませんwwwww」とかいう状態なんだけど。

 

まーーーとにかく時間がかかるね、たくさんのテレビ出演、雑誌、CD、DVD…全て嬉しいものであるはずなのに、追えなくなった途端負担となって襲いかかってくるんだよ。勝手に。そう、ここが重要なんだよ。「勝手に」ね。

 

好きなのに見れない、なんだろう現実世界でいうと「会いたい恋人に会えない、けど恋人は色々なところに行って写真を送ってくる」って感じ(どんな感じ?)。「自分はこんなとこ行ってきたよ、一緒にいけたらいいね(ってかいつ行けるの?まだ?)」それくらいのプレッシャーを感じる。急に推しを恋人にすな。

追えてないことに対して泣きそうになる。だって本当だったら全部目に収めたいし全部そのリアルタイムの温度で感じていたい。だって、オタクって推しで季節を感じるし、推しで自分が生きていることを実感するなんてザラじゃん。

 

でも実生活でやるべきことってある。自分の人生を生きている限り、自分の目の前にある道は自分しか歩けない、自分が歩かなきゃいけない道なんですよ。

 

個人差は必ずあるのでみんなそうということではないのは承知なんですけど、私の場合ね、私の場合「推しを追いかけてる時」って大体、推しの道を横から眺めている感じ、ちょうど推しの隣を歩いてる感じで、全て推しのスケジュールに合わせてしまうようになるんです。たぶん自分の時間を持つことに慣れてない証拠なんですよね。「相手の時間が自分の時間の全て」みたいな。本当にコレが良くなくって。。治さなきゃいけないと思いつつやってしまうものよ。。でもいい加減学んだかな…いや、この増田さんでこういうのは最後にしよう…。ありがとう貴久、私やっと気づけたみたい。ってほらまた、増田貴久を勝手に元カレ化して話を進めるな。

 

自分は今就活というフェーズでそれを感じることになった。これが受験だったり、仕事だったり、結婚だったり、子育てだったり、色々と人生の節目という節目にこの感情を抱えることになるのか…。そう考えると推しとそれを応援するファンって不思議な関係、不思議な距離感だなとも思うわけです。たまにラジオとかでさ、「高校生のときから応援していて子どもができました。」って報告とかあって、推しが「うわ〜そんな時間経つのかあ」みたいな反応とるときあるじゃん。あれ、あの瞬間、とてもエモいなと思うのよね……。

 

人生の一部として、自分を構成する要素として存在する推しは一歩誤れば自分の人生を重ねてしまって前を向けなくなるときもあって、でも反対に、前を向く元気をくれるのも推しだったりして、本当にファン本人の持ち様というか(汚い言葉で言うと)利用の仕方によって色々な立場に変わってくれる。こういう言葉言ってて恥ずかしくて蕁麻疹出てきちゃいそうなんですけど、本当に推しって魔法みたいだね。あ、だめだ、かゆい。

 

なんだか「推し」を一方的に「魔」と表してみたけど、ちょっと違うかもだね。「魔」は結局自分がお腹いっぱい推しを摂取したいという自分の欲求であって、推し自体が戦うべき相手ではないんだよな。推しを我慢せず満足するまで摂取したいその気持ちとどう向き合っていくかが、自分をコントロールする力であって、自分の人生を歩む力にもなるのかな。どうなんだろう。

 

なんでそんなこと急にグルグル考え始めたって、自分は小学生の頃からテレビっ子で、お笑いと俳優さんが本当に大好きな子供だったんです。いわゆるわかりやすいエンタメって感じの。そういうのに晒され続けてると、最初はすごく楽しいんですけど、ふと急に「あれ、私、すごく楽しいし情報を得られてるけど、なんだかすごく受動的で受け取るだけの人になってる…。」ってすごい、なに、賢者タイム(????????)みたいな感じになって。その感覚が去年夏に「推し」というものができてから久々に現れたんです。

 

私は推し活をして、何を得た?元気?癒し?活気?知識?愛しい気持ち?ああ精神的な補充にはなったけどこの期間、私はなにを身につけた?ただ画面に齧り付いて頬を緩ませてただけ?

 

めっちゃ病んでる人の文章じゃん。怖。もしかしたら、いやもしかもしないけど、自分は受け取り側をやめて、何か発信するために自分を肥やすことも本当は好きで、バランスを保たなければならないのかもしれない。多分たまには思いっきり離れて「旅に出ます、探さないでください。」とか言って太平洋を渡って地球の裏側を見に行って、推したちのことなんてミリも考えられないくらい一生懸命サンバの踊り方を習得しないと気が済まないタイプなのかもしれない。そんなことに気づいたわけです。どんなことだろう。

 

いつも通り何が言いたいのかわからない文章になってしまった。。だから要は、自分の道がそれぞれあってそこに華を添えられるような楽しみ方をするのが、個人的に最高の推し活形態なんだろうなって思ったよ。でもそれってやってみようとすると案外難しいことな気がするって。わあ月並み。そんなことを考えた推し活2年目の夏。

 

140字じゃ収まらなかった(2200字)の呟きなだけだから、論理展開とか繋がりとかそんなんありません。こんな独白をいつも読んでくれる方、ありがとう。。

 

 

 

 

2020年5月、初めてジャニーズ(NEWS)にハマった話

みなさん、お久しぶりです、はにたんです。いかがお過ごしでしょうか。

さーて、腰が重かったけどもう今年終わっちゃうし、2020年NEWSに沼った話を書くぞ!!!

今年は本当によくわからん年になったね。去年の2019年12月の今頃なんて、こんなことになってるなんて思ってもなかったや。

 

こんなこと。

 

その「こんなこと」は、確かに新型コロナウイルスがメインではあるんだけども、自分のこの状況も含まれておりまして。いや、そうこんな「推し活」にのめりこむなんて……………。

 

今回の記事は早々と本題へ。ってか、本題にいってからも長いからさ。

NEWSとの出会いは今年2020年5月上旬。5月3日とかそこら辺だったかな、Twitterのリア垢の方で、その当日5月3日放送の「関ジャム」の動画が誰かしらによりRTされてきて、それが「ヒャダインプレゼンツ、ジャニーズトンチキソング特集!」みたいな内容だったんだよね。

 

まあちょっと前提として自分の話をちょろっとすると、また別に記事として残そうかなと思ってるんですけど、私はもともと俳優を昔から追いかけていた民でして、ジャニーズって本当に興味がなかったんです。恐ろしいくらいに。いやまじで。明確に今までハマってきたものといえば、俳優(2008年〜)・アニメ(2011年〜2014年くらい)・ボカロ(2010年〜2014年)・邦楽ロック(2011年〜)という感じ。ただ、音楽は小さい頃から好きだったので、どの時代も音楽はなにかしらにハマっていたわけですが、そうここがポイント。音楽なんです。

関ジャムって音楽番組ですからね、誰がRTして回ってきたかはもう覚えてもないんですけど、まあ軽い興味もあり再生してみたんです。「ジャニーズどんな歌うたってるのかな」って。

一応俳優好きだとドラマやバラエティ番組など必然的に見ることになるので、芸能人とかジャニーズも一応たくさん知ってる方だからね、ああNEWSね、「weeeek」とかの人たちかと。6人だったよね、テゴマスはミソスープの人たちだよね、小山はキャスターしてたよね加藤は小説家してるよねってとこまでは把握はしてましたよ。そんな前提知識が頭の中を駆け巡ってるなかで再生してみたわけです。(ちょっとこちら引用・挿入させていただきます、断りなく申し訳ありませんが………!)

 

 

 

「エイヤーエイヤーエイヤーアーアーアーーー♪」

テンテレンテンデーデーテンテレンテンデーデー・・・

「チュムゥ!!!」

 

 

!?!?!?!?

 

待て、なんだこの曲。

イントロからなんだこの曲。

超〜〜〜インド🇮🇳カレーしか浮かばん🍛🐘

 

ヒャダインさんの注釈によれば「イントロ〜Aメロまでゴリゴリの妥協なしのインドサウンド。しかし急にBメロ『ガンジスのほとりで君をみた〜♪』からJ-POP。」とあったのでBメロまで耳を傾けてみる。

 

「ガンジ〜スのほとりで〜き〜みを見〜た〜♪」

 

わあああああああああああああ!?!?

急にJ-POPじゃん!!!!!???

 

・・・・・・・なに、この曲。

・・・・・・・こんな曲アリ!?

 

Aメロまではいわゆるゴリゴリのインド音楽の調べ・雰囲気。なのにBメロから、こんな簡単に、こんな違和感なくJ-POPに一瞬で切り替わるなんて、この曲・・・恐ろしい、こんな違和感のない二国融合音楽、そんなことあってたまるか・・・!!!!!!家の近辺を「チュムゥ〜!!!!」って叫びながら駆け回りたい衝動に駆られましたよ。(もうこの時から大体の感情が大げさだし情緒が鬼。)

 

なんか色々たぎりましたね。

 

久々だった。こんな楽曲に対して「うわあ」って気持ち抱くのなんて何年ぶりだろう。気づけば2015年以来か。今や私のルーツの一つとなったバンド、UNISON SQUARE GARDENの楽曲に出会ったとき以来だったような気がする。「なんだこの曲は…………!!!」という感情は。

 

まあそんなんで、普通に生きててあまりそんなトンチキな曲に出会う機会なんてなかったので(みんなないと思うけど)、めちゃめちゃ衝撃。もうその後ずっと頭の中「チュムチュム」。ずっとインドと日本を行ったり来たり。脳内の飛行機マイル貯まりまくり。数日のフライトでファーストクラス乗り放題。パスポートないし外国行ったことないけど。

 

当分チュムチュムに浸ったわけですが、「こんないい曲をジャニーズは歌ってんのか・・・!」と考えを改めまして。改めるって本当になんか失礼な表現で申し訳ないんですけど、もともとジャニーズにまじで興味がなくて、なんならぶっちゃけ、ジャニーズに対して「顔はいいもんね」って偏見というかすこし斜めに見てた節があったんです。すみません、アイドルたるものを少しかじるようになった今、この考え方は非常に浅ましいんですけど、、、当時まではそういう風に思ってたもので………。だから本当に衝撃というか、楽曲でここまでやってくるのかと。(いやここまでで出てきた楽曲「チュムチュム」だけなのに、それでこの衝撃やばくない?って話なんだけどさ)

 

それからはYouTubeでNEWSの曲漁りに励む日々。もうこればかりは違法アップロードのおかげ。法学部生としてあるまじき発言ですが。「チェリッシュ」「チャンカパーナ」「UR not alone」「夜よ踊れ」「AVALON」が特に記憶に残ってるな。でもYouTubeの動画といっても、ライブの写真とか宣材写真がペタっと貼られているのみの動画だったから、曲だけ。だけど曲がいいって本当にすごい。私はもうこの時点で一つのアーティスト集団としてのNEWSが大好きになってたんです。

 

さてそんな感じで数日過ごしてようやく、音楽番組でチュムチュムを披露している動画を見るわけです。ここで初めて。それもすごいと思うけど。そしてそれを見た私の感想

 

加藤シゲアキ、すごい綺麗〜〜〜〜〜〜〜!!!???

 

そうまさかのシゲ。でもね、NEWSファンなら「あーはいはい」ってなるよね。チュムチュムといえばターバンシゲ、ターバンシゲと言えばフェルメール。すごい綺麗だから、最初目に留まったのはシゲだった、んだけど、ここで増田担になったんですよね〜摩訶不思議。

本当にビジュアルで惹かれたのは間違いなくその時はシゲだったんだよ。でもその動画を何回も見ているとなぜだか、黄色いターバンの人にも目が行ってたんだ。Bメロ後半「その唇に触れたいよ♪」って歌いながら、赤茶色のさらさらな髪、ぷっくり涙袋、ニッコリしてふわふわほっぺたに押し上げられた目…………なんだこの人私にないものを全て持っている。あれ、この人はたしか「ますだ」。ふーん、ますだ、ますだね………。

 

気付いたら画像検索ですよ。もうわかるでしょ。画像検索なんて、もう、もう沼ですよ。だいたいオタクってさ、画像検索かけたときには時すでにお寿司🍣みたいなとこあるよね。

 

っていうか、下の名前「貴久」だったんだ。というレベルだったんだけど、もう数日で情報をかき集めました。アンサイクロペディアとかもう最高だったよ。

まあここで増田さんの魅力を多く語ったところでなんだけど簡単にあげれば

・とにかく顔と体格のギャップ。涙袋、これ私のTwitterからこのブログからなにからなにまで使ってますけど、私本当に涙袋がない民なので超うらやましくて。笑顔がリ`▽´ノリってこの顔文字通りなのもすごいし、なによりそんな33歳にして年確されてしまうほどバブバブFACEなのに、身長グループ1小さいのにガタイがグループ1良いという、なにそのギャップ。誰でも落ちるわそんなん。わたしはひょろひょろの民なのでそれもうらやましい。容姿に関しては全て羨ましいという気持ちからこの人を推す感情が生まれている

・歌がすごい、甘い声からがなり声、ラップから、こっちが切なくなるほど詰まった声、とにかく表現力の鬼。声音や息の吐き方、言葉の発し方一つ一つでこんなに曲が変わるのかとびっくり。もうアーティスト・歌手やんけ、と。

・と思いきや最初はダンスで勝負してたくらいダンスがすごい。昔の「it's BAD」のダンス見て、「pumpkin」のバク転をみて、感動。キレッキレだしあの大きな身体を目一杯使うことで超ダイナミックな表現になる。すごい。

・内面が覗くところといえば、ホワホワしてるように見えてめちゃくちゃこだわってて芯強いところ。衣装作りの時なんてもう必殺仕事人じゃん、多分使いかたちがうけど。そしてなによりも「アイドル」であることに(いい意味で)異常なまでに強い意志を持っている。こちらが理解しきれないほど。アイドルである、ではなくて、アイドルとして「生きている」が正しいといえるくらい。

 

私の目に映ったはじめの魅力はそんなところ。性格とかどうでもよくて、まあ良いに越したことないし、実際現場とかで「まっすーいい人!」とか言われてるっぽいからいいんだろうけど、別にそこはどうでもいいんだよね。だって現実的に接するわけじゃないし。ただ、確実に「相手の立場に立つ」という考えは絶対に持っているな、ということが雑誌やラジオの発言からみてとれたので、そこも大変グッドなポイントだった。。

 

 

ああまさか私がアイドルにハマるなんてね。自分でもびっくりしたよ。まあ自分以上に周りはもっと「えっ、〇〇(本名)さんがジャニーズハマるなんて・・・!」ってびっくりしてたんですけども。

 

 

それからは、NEWS、増田さん、慶ちゃん、シゲの紡ぐ思いやら言葉やらをたくさん目にして耳にして、たくさんアイドルについて知って、考えさせられる毎日。それは今も。

 

ただ顔がいいだけじゃあ、ないんですね。というか彼らは顔がいいだけであることにコンプレックスを抱きがちというか、そんな贅沢あるかってこちらは思うんだけども、そういう人種はそういう人種で悩みも尽きないのかなと、その気持ちがわからないなりにも考えてみたり。まあこれはNEWSがっていう話ではないんだけど。

 

「ジャニーズ」って言われているけれども、ちゃんとフルネームで言えば「ジャニーズ・エンタテイメント」なわけで。

「エンターテイメント」ってなにかっていうと、weblio曰く「人々を楽しませる娯楽」「人の心を魅了して離さないもの」なんですって。

当たり前なんだけど、当たり前なんだけどこれって普通に考えてすごいことだと思わない!?

私は一人の人間として、なにか歌ったり踊ったり演出したり衣装決めたりすることで誰か一人でも楽しませることができるのかなって考えた時、そんな魅力と覚悟と強い意志はないなって即答できてしまうから。その自身の魅力をしっかり客観的に俯瞰して把握できて、なおかつ最大限にその魅力を振りまいていく、そんなエネルギー、どっからきてんのって、私感動しちゃって。

 

ライブやファンミ、ラジオ、雑誌、グッズ、ファンクラブetc.・・・たくさんエンタメの形があることを改めて実感したし、それは私が今まで触れてきた俳優業やアニメやロックバンドといった世界とは全く別のものでとっても新鮮だった。いや、全く別ものではないか。もちろん共通項はあったんだけど、なんていうのかな、向き合い方が違うというか。うーん、言語化難しい。とにかく衝撃的な出会いだった。

 

って!!!なんか薄っぺらいアイドル論語りかけたけど、もうそんな思いとかあとからついてきたもんだし!!!!ってかなんなら「アイドルってなんだ」なんて、実際某テイッさんが抜けて初めて壁にぶち当たったかもしれない。

 

ってか、春に色々と環境変化が生じて精神的疲労のキャパは越してたし、現世の恋愛でもうヘトヘトになってた私は、この「推し活」という一方的な愛の享受形態(これもまた追々記事に…)に藁をもすがる思いだった。「現世の男なんて信じられねえ、そうだハイパードリーム集団に貢ごうそうしよう!!!!!!!!!はあ顔がいい!!!!!!サイコーーーーー!!!!!ありったけの金くれてやらあ!!!!!!!!!」これが全ての原動だったので、こんなことになるとは……。

 

推し活を進めていく中で小さな感動はたくさんあったね。

 

まずオタ垢を作ること。これは同じ大学の部活の後輩ちゃんや同期がその存在を教えてくれたり勧めてくれたりしたおかげなんです。こうやって実際リアルの生活では絶対繋がりえない方々と同じ「推し」を通して、年齢や住んでる場所関係なく、推しについてはいわずもがなたくさんの気持ちや事柄を共有するようになって、めちゃくちゃ「縁」を感じた。コロナもあってね、なかなか人との繋がりが難しい年ではあったんだけど、そんななかでも語り合ってなにかしら活動してってできたのはすごいなあと。

 

あとね、グッズの梱包のさ、テープがさ、透明地にピンクの星がたくさん舞っててそれにも感動した。「えっ、こんなところまでかわいいの?」って。あとファンクラブのカード、グループごとに違うとか。あとなんだろう、投げキス・・・?テレビで推しが投げキスしてることにびっくりした。俳優とか投げキスとかせんからさ・・・。なんか色々カルチャーショックがあったよ。。

 

そんなこんなで今年春にハマって、その当時の感動をそのまま文章にできたかというと、、多分30%もできていない。もっと鮮やかでもっと電撃的な感動だったんだけど、どうも半年以上経ってしまうと鮮度が落ちてしまうらしい。人間の適応能力にもはや感動している、こんなに慣れてしまうのかと。もうすこし早く、夏休みあたりに書けていたら。。。

そんなん言ったてしょうがないので年内にまとめられただけでもマシか。いやもうほとんど「チュムチュム」のことしか書いてないんだけど。でもそんだけ私の中で「チュムチュム」がね、大事な出会いの曲になったんですよ。NEWSというグループがアイドルとして音楽活動をしているわけだから、何十万人とファンがいて、その一人一人に大事な曲があるのは当然ですよね。その一曲が私にとったら「チュムチュム」だったんです。さっきからチュムチュムチュムチュムうるさいなあ!!!!!!!はあ、チュム!!!!!!!!!!!!(CV:小山慶一郎

 

また長々と書いてしまいました。今この時点でね、5880字。ここまで読んだ人いたらちょっと感動する。金一封か増田さんの胸筋あげたい。とりあえずこんな感じで、少しは忘れないように残せたのではないかと思う。NEWS史としてはもっとたくさんのことがあったな。けどそれはもっとね、うまく月年表とかにしてくれてる方がいると思うんで、得意な方に任せてそれを拝見し振り返らせていただきたいと思っとります。だからここでは個人的な備忘録を。

 

2020年、色々あったけど、私的には良い1年になったよ!!!!!!!NEWS!!!!増田さん、慶ちゃん、シゲ!!!!!!!そして一ヶ月だけだったけど、手越!!!!!!!ありがとう!!!!!!!!!!