蜂蜜の壺

愛の溜まり場、言葉の液垂れ

推しと自分の人生と

推し、それは自分の人生に彩をもたらしてくれる存在。推し、それはどんな辛い時でも先にどことなく光があるように思わせてくれる存在。推し、それは時としてオタクの人生を狂わせる魔物のようなもの。。

 

「精神の癒し」である推し、それが精神を破壊してくる存在にもなりえる。。

 

キャーーー書き方がアレすぎて蕁麻疹出そう〜〜〜〜〜〜wwwwwww

 

まあこの言い方は極端であって、簡単に言えば「供給が多くて追えませんwwwwww」とか「忙しくて追えませんwwwww」とかいう状態なんだけど。

 

まーーーとにかく時間がかかるね、たくさんのテレビ出演、雑誌、CD、DVD…全て嬉しいものであるはずなのに、追えなくなった途端負担となって襲いかかってくるんだよ。勝手に。そう、ここが重要なんだよ。「勝手に」ね。

 

好きなのに見れない、なんだろう現実世界でいうと「会いたい恋人に会えない、けど恋人は色々なところに行って写真を送ってくる」って感じ(どんな感じ?)。「自分はこんなとこ行ってきたよ、一緒にいけたらいいね(ってかいつ行けるの?まだ?)」それくらいのプレッシャーを感じる。急に推しを恋人にすな。

追えてないことに対して泣きそうになる。だって本当だったら全部目に収めたいし全部そのリアルタイムの温度で感じていたい。だって、オタクって推しで季節を感じるし、推しで自分が生きていることを実感するなんてザラじゃん。

 

でも実生活でやるべきことってある。自分の人生を生きている限り、自分の目の前にある道は自分しか歩けない、自分が歩かなきゃいけない道なんですよ。

 

個人差は必ずあるのでみんなそうということではないのは承知なんですけど、私の場合ね、私の場合「推しを追いかけてる時」って大体、推しの道を横から眺めている感じ、ちょうど推しの隣を歩いてる感じで、全て推しのスケジュールに合わせてしまうようになるんです。たぶん自分の時間を持つことに慣れてない証拠なんですよね。「相手の時間が自分の時間の全て」みたいな。本当にコレが良くなくって。。治さなきゃいけないと思いつつやってしまうものよ。。でもいい加減学んだかな…いや、この増田さんでこういうのは最後にしよう…。ありがとう貴久、私やっと気づけたみたい。ってほらまた、増田貴久を勝手に元カレ化して話を進めるな。

 

自分は今就活というフェーズでそれを感じることになった。これが受験だったり、仕事だったり、結婚だったり、子育てだったり、色々と人生の節目という節目にこの感情を抱えることになるのか…。そう考えると推しとそれを応援するファンって不思議な関係、不思議な距離感だなとも思うわけです。たまにラジオとかでさ、「高校生のときから応援していて子どもができました。」って報告とかあって、推しが「うわ〜そんな時間経つのかあ」みたいな反応とるときあるじゃん。あれ、あの瞬間、とてもエモいなと思うのよね……。

 

人生の一部として、自分を構成する要素として存在する推しは一歩誤れば自分の人生を重ねてしまって前を向けなくなるときもあって、でも反対に、前を向く元気をくれるのも推しだったりして、本当にファン本人の持ち様というか(汚い言葉で言うと)利用の仕方によって色々な立場に変わってくれる。こういう言葉言ってて恥ずかしくて蕁麻疹出てきちゃいそうなんですけど、本当に推しって魔法みたいだね。あ、だめだ、かゆい。

 

なんだか「推し」を一方的に「魔」と表してみたけど、ちょっと違うかもだね。「魔」は結局自分がお腹いっぱい推しを摂取したいという自分の欲求であって、推し自体が戦うべき相手ではないんだよな。推しを我慢せず満足するまで摂取したいその気持ちとどう向き合っていくかが、自分をコントロールする力であって、自分の人生を歩む力にもなるのかな。どうなんだろう。

 

なんでそんなこと急にグルグル考え始めたって、自分は小学生の頃からテレビっ子で、お笑いと俳優さんが本当に大好きな子供だったんです。いわゆるわかりやすいエンタメって感じの。そういうのに晒され続けてると、最初はすごく楽しいんですけど、ふと急に「あれ、私、すごく楽しいし情報を得られてるけど、なんだかすごく受動的で受け取るだけの人になってる…。」ってすごい、なに、賢者タイム(????????)みたいな感じになって。その感覚が去年夏に「推し」というものができてから久々に現れたんです。

 

私は推し活をして、何を得た?元気?癒し?活気?知識?愛しい気持ち?ああ精神的な補充にはなったけどこの期間、私はなにを身につけた?ただ画面に齧り付いて頬を緩ませてただけ?

 

めっちゃ病んでる人の文章じゃん。怖。もしかしたら、いやもしかもしないけど、自分は受け取り側をやめて、何か発信するために自分を肥やすことも本当は好きで、バランスを保たなければならないのかもしれない。多分たまには思いっきり離れて「旅に出ます、探さないでください。」とか言って太平洋を渡って地球の裏側を見に行って、推したちのことなんてミリも考えられないくらい一生懸命サンバの踊り方を習得しないと気が済まないタイプなのかもしれない。そんなことに気づいたわけです。どんなことだろう。

 

いつも通り何が言いたいのかわからない文章になってしまった。。だから要は、自分の道がそれぞれあってそこに華を添えられるような楽しみ方をするのが、個人的に最高の推し活形態なんだろうなって思ったよ。でもそれってやってみようとすると案外難しいことな気がするって。わあ月並み。そんなことを考えた推し活2年目の夏。

 

140字じゃ収まらなかった(2200字)の呟きなだけだから、論理展開とか繋がりとかそんなんありません。こんな独白をいつも読んでくれる方、ありがとう。。